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トップページ原爆の絵地図 "銀山・幟地区"

原爆の絵

地図 "銀山・幟地区" で 158 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
41 SG-0278 中国新聞社付近。左は中国新聞社、中央の鉄骨は小田政商店。 高増 径草(タカマス ケイソウ) 1945/9/9~9/10 中国新聞社付近
42 SG-0218 上流川教会付近 小尻 勉(コジリ ツトム) 上流川教会付近
43 NG457-03 川を流れる死体、焼け跡に立つ東警察署、爆風でこわれた路面電車 斉藤 敬一(サイトウ ケイイチ) 東警察署
44 NG451 放送局前でラジオを抱え待っていた人たちのやけどした真っ赤な顔 和久野 幸子(ワクノ サチコ) 1945/8/6 広島中央放送局前
45 NG443 子どもを守るような姿勢のまま黒焦げになった母子 植田 貢(ウエダ ミツグ) 1945/8/7 上流川町の広島中央放送局前の道路
46 NG440-02 負傷者を乗せたトラックが宇品方面に向かっていた。死者を大八車に乗せ縮景園に運び火葬した。 志田 敏衛(シダ トシエ) 1945/8/6~8/20頃 縮景園付近
47 NG440-01 大八車を引いて路上の死体を収容した。路面電車のつり革に手を伸ばしたままの姿の死体もあった。 志田 敏衛(シダ トシエ) 1945/8/6~8/20頃 縮景園付近
48 NG429 放送局玄関の斜め左道路の中央南に向かって黒いものがあった。幼児を左腕に抱えた母親の死体だった。 北村 弘(キタムラ ヒロシ) 1945/8/7 広島中央放送局前
49 NG428-02 何とかつぶれた家から抜け出すと松の木に火の気もないのに火がついて燃え出していた。 杉本 知佐子(スギモト チサコ) 1945/8/6 幟町の自宅
50 NG428-01 泣きながら八丁堀方面に向かう男の子。一緒に逃げようと手を引いて誘ったがそのまま行ってしまった。 杉本 知佐子(スギモト チサコ) 1945/8/6 幟町
51 NG399-03 原爆投下2年前、自宅近くの柳橋のふもとの川で見た赤いカニ。 河野 しのぶ(カワノ シノブ) 1943 柳橋のたもと
52 NG398 鍋に川の水を運んでわかしていた。「水をください。」という人に鍋の湯をさましては飲ませてあげた。 根本 小夜子(ネモト サヨコ) 1945/8/6 縮景園近く
53 NG391-04 避難する人はみな白島方面に向かっていた。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 鉄砲町
54 NG391-03 姉を捜しに行こうとしたが避難する人々で道はあふれ遠くではすでに火災が発生してできなかった。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 鉄砲町の自宅前
55 NG391-02 家の下敷きになった両親を救出する。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 鉄砲町の自宅
56 NG391-01 被爆前の自宅 前田 修治(マエダ シュウジ) 1928~1945/8 鉄砲町の自宅
57 NG335-03 がれきの中に2~3倍にふくれあがった若い兵士の遺体が整然と並べられているのを見た。 原田 敬二(ハラダ ケイジ) 1945/8/7か、8/8 広島東警察署
58 NG292-02-23 空が黒くなるほど黒煙が上がっている。道路上では負傷者が泣き叫んでいた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8 中国新聞社前
59 NG292-01-30 広島で一番の繁華街も無残に変わり果てていた。30人くらいの負傷者が泣き叫んでさまよっていた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8 中国新聞社前
60 NG283-04 欄干にもたれて立ちつくす上半身裸の人。時間を聞こうと近寄ってみるとその姿勢で亡くなっていた。 鈴木 恒昭(スズキ ツネアキ) 1945/8/7か、8/8 栄橋

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