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トップページ原爆の絵地図 "銀山・幟地区"

原爆の絵

地図 "銀山・幟地区" で 158 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
101 NG292-02-23 空が黒くなるほど黒煙が上がっている。道路上では負傷者が泣き叫んでいた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8 中国新聞社前
102 NG335-03 がれきの中に2~3倍にふくれあがった若い兵士の遺体が整然と並べられているのを見た。 原田 敬二(ハラダ ケイジ) 1945/8/7か、8/8 広島東警察署
103 NG391-01 被爆前の自宅 前田 修治(マエダ シュウジ) 1928~1945/8 鉄砲町の自宅
104 NG391-02 家の下敷きになった両親を救出する。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 鉄砲町の自宅
105 NG391-03 姉を捜しに行こうとしたが避難する人々で道はあふれ遠くではすでに火災が発生してできなかった。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 鉄砲町の自宅前
106 NG391-04 避難する人はみな白島方面に向かっていた。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 鉄砲町
107 NG398 鍋に川の水を運んでわかしていた。「水をください。」という人に鍋の湯をさましては飲ませてあげた。 根本 小夜子(ネモト サヨコ) 1945/8/6 縮景園近く
108 NG399-03 原爆投下2年前、自宅近くの柳橋のふもとの川で見た赤いカニ。 河野 しのぶ(カワノ シノブ) 1943 柳橋のたもと
109 NG428-01 泣きながら八丁堀方面に向かう男の子。一緒に逃げようと手を引いて誘ったがそのまま行ってしまった。 杉本 知佐子(スギモト チサコ) 1945/8/6 幟町
110 NG428-02 何とかつぶれた家から抜け出すと松の木に火の気もないのに火がついて燃え出していた。 杉本 知佐子(スギモト チサコ) 1945/8/6 幟町の自宅
111 NG429 放送局玄関の斜め左道路の中央南に向かって黒いものがあった。幼児を左腕に抱えた母親の死体だった。 北村 弘(キタムラ ヒロシ) 1945/8/7 広島中央放送局前
112 NG440-01 大八車を引いて路上の死体を収容した。路面電車のつり革に手を伸ばしたままの姿の死体もあった。 志田 敏衛(シダ トシエ) 1945/8/6~8/20頃 縮景園付近
113 NG440-02 負傷者を乗せたトラックが宇品方面に向かっていた。死者を大八車に乗せ縮景園に運び火葬した。 志田 敏衛(シダ トシエ) 1945/8/6~8/20頃 縮景園付近
114 NG443 子どもを守るような姿勢のまま黒焦げになった母子 植田 貢(ウエダ ミツグ) 1945/8/7 上流川町の広島中央放送局前の道路
115 NG451 放送局前でラジオを抱え待っていた人たちのやけどした真っ赤な顔 和久野 幸子(ワクノ サチコ) 1945/8/6 広島中央放送局前
116 NG457-03 川を流れる死体、焼け跡に立つ東警察署、爆風でこわれた路面電車 斉藤 敬一(サイトウ ケイイチ) 東警察署
117 SG-0218 上流川教会付近 小尻 勉(コジリ ツトム) 上流川教会付近
118 SG-0278 中国新聞社付近。左は中国新聞社、中央の鉄骨は小田政商店。 高増 径草(タカマス ケイソウ) 1945/9/9~9/10 中国新聞社付近
119 SG-0282 京橋西詰付近から八丁堀方面を望む。中央は福屋百貨店。左は中国新聞社。 高増 径草(タカマス ケイソウ) 1945/9/9~9/10 京橋西詰付近から八丁堀
120 SG-0333 猛火の中を綱を取り合い脱出してきた親子 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/6 薬研堀~鶴見橋付近

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