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原爆の絵

地図 "銀山・幟地区" で 158 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
81 NG071-08 全焼した電車が中国新聞社前に止まっていた。 長見 英希(ナガミ ヒデキ) 1945/8/8 中国新聞社前
82 NG096-03 焼け跡で姉の夫と再会する。外見は無傷だったが、髪は真っ白になり頬はげっそりと痩せていた。 金行 清香(カネユキ キヨカ) 1945/8/8 上流川町
83 NG106-02 建物疎開作業で柳橋で被爆したいとこ。顔や手の皮膚が垂れ下がりボロが下がっているようだった。 草川 ヨシエ(クサカワ ヨシエ) 柳橋
84 NG110-01-01 自宅近くの路上で見た焼死した母子。母親と妹ではないかと感じたが、確認せずにその場を離れた。 安原 義治(ヤスハラ ヨシハル) 1945/8/7 広島中央放送局付近
85 NG110-01-02 自宅近くの路上で見た焼死した母子。母親と妹ではないかと感じたが、確認せずにその場を離れた。 安原 義治(ヤスハラ ヨシハル) 1945/8/7 広島放送局付近
86 NG114-02 やけどで顔がはれあがった負傷者たち。糸のような目と口、穴だけの鼻と耳、老若男女の区別もつかなかった。 小久保 三好(コクボ ミヨシ) 1945/8/6 栄橋
87 NG114-03 縮景園の池のほとりに並んで水を飲む負傷者たち。翌日同じように並んでみな死んでいた。 小久保 三好(コクボ ミヨシ) 1945/8/6~8/7 縮景園
88 NG157-01 妹を捜す時に見た橋のたもとにうずくまる真っ黒に膨れ上がった人。幼い子どものように見えた。 山中 昭子(ヤマナカ アキコ) 1945/8/7 京橋
89 NG158-03 酒屋の店にあったビール、ラムネの瓶。原爆の火災等で瓶の頭部が溶けたものと思われる。 山岡 崇義(ヤマオカ タカヨシ) 1945/8 平塚町あたり
90 NG181-03 橋の橋脚に流れついた死体 妙見 法彦(ミョウケン ノリヒコ) 1945/8/6 京橋川、稲荷町電車専用橋
91 NG197-06 水を求め、防火用水槽の中で折り重なるように亡くなった多くの人々。ほとんどが女性と子どもだった。 田中 陽造(タナカ ヨウゾウ) 1945/8/7 鉄砲町
92 NG202-08 木片、木の葉、枝そして人が点々と浮いていて池の水は見えなかった。木陰にも人がいた。 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) 1945/8/8~8/10 縮景園
93 NG204-01 橋で兵士が隊列を組んだまま重なり合って死んでいた。欄干と自転車にはさまれた少年の死体もあった。 香川 嘉久(カガワ ヨシヒサ) 1945/8/7 栄橋
94 NG204-02 小柄な母親に手を引かれた4歳くらいの男の子と2歳くらいの女の子。 香川 嘉久(カガワ ヨシヒサ) 1945/8/7 広島女学院高等女学校
95 NG204-03 防火用水槽の女性の死体。白髪まじりの長い髪は水にゆらぎ水面から出ている背中は赤銅色に焼けていた。 香川 嘉久(カガワ ヨシヒサ) 1945/8/7 白島線の一筋東側の道路
96 NG219-02 川の中は犠牲者でいっぱいだった。水の流れがなく同じ遺体が幾日も浮いていた。 中平 武司(ナカヒラ タケシ) 1945/8/6 稲荷町電車専用橋付近
97 NG229 焼け跡で家の下敷きになり焼け死んだ母と姉の遺骨を拾う。放送局の前には黒焦げの母子の死体があった。 波多野 ヤエ子(ハタノ ヤエコ) 1945/8/7 広島中央放送局前
98 NG281 瓦礫の下敷きになった人。ところどころで火柱があがっている。抜け出た人はほとんど頭から血だらけだった。 山田 昭雄(ヤマダ アキオ) 1945/8/6 幟町の自宅
99 NG283-04 欄干にもたれて立ちつくす上半身裸の人。時間を聞こうと近寄ってみるとその姿勢で亡くなっていた。 鈴木 恒昭(スズキ ツネアキ) 1945/8/7か、8/8 栄橋
100 NG292-01-30 広島で一番の繁華街も無残に変わり果てていた。30人くらいの負傷者が泣き叫んでさまよっていた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8 中国新聞社前

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