地図 "紙屋町・本通地区" で 193 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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81 | NG069-05 | 福屋まで来た時玄関から負傷した虫の息の人たちが見え気の毒だった。横には死んだ馬が山になっていた。 | 田島 武雄(タジマ タケオ) | 1945/8/10 | 福屋付近 | |
82 | GE05-28 | 赤黒くこげたたくさんの死体をとび口で集める | 植田 ミツコ(ウエダ ミツコ) | 1945/8/8 | 福屋から本通り、紙屋町方面 | |
83 | NG314-25 | 目玉や腸が飛び出した死体、真っ黒こげになった男性の死体。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 1945/8/7 | 福屋 | |
84 | NG314-24 | 福屋百貨店前では路面電車が脱線し焼けこげて停まっていた。建物の間にはたくさんの人が倒れていた。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 1945/8/7 | 福屋 | |
85 | NG130-03 | 福屋ビル2階の窓にはムシロを吊り下げていた。広島駅から八丁堀に向かい千田町付近まで見る。 | 吉井 敏春(ヨシイ トシハル) | 1945/9/3 | 福屋 | |
86 | NG024-02 | 看護婦として治療に当たる。「水が飲みたい」「体が痛い」と悲鳴をあげていたその時の声が耳から離れない。 | 河野 一郎(コウノ イチロウ) | 福屋 | ||
87 | NG426-03 | 古いキャンパス地のテントのようなものが校庭にたくさん立っていた。 | 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) | 県立広島第一高等女学校校庭 | ||
88 | WH11-012 | 県女の校庭より | 小野山 博子(オノヤマ ヒロコ) | 1936/9/3 | 県立広島第一高等女学校の校庭 | |
89 | GE39-28 | 倒れた馬車馬や人、切れて落ちた電線 | 光貞 泰(ミツサダ ユタカ) | 1945/8/7 | 白神社電停付近 | |
90 | NG426-02 | 防火用水槽の死体。新しい服装でたぶん警防団のひとだと思う。体がふくらんで皆下を向いて死んでいた。 | 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) | 1945/8/9 | 白神社境内 | |
91 | GE22-44 | 爆風でとばされた電車 白神社、国泰寺 | 小林 岩吉(コバヤシ イワキチ) | 1945/8/6 | 白神社前 | |
92 | GE32-18 | 電車と真黒な人 | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/7 | 白神社付近の電停 | |
93 | WH14-150 | 白神神社付近 | 河野 安夫(コウノ ヤスオ) | 昭和10年頃 | 白神社付近 | |
94 | SG-0271 | 白神社付近。国泰寺の大楠。 | 高増 径草(タカマス ケイソウ) | 1945/9/9~9/10 | 白神社付近 | |
95 | NG293-01 | 焼け跡に横たわる多くの死体。みな黒焦げでパンパンに膨れていた。 | 松島 道枝(マツシマ ミチエ) | 1945/8/7 | 白神社付近 | |
96 | NG292-01-29 | 焼け野原を見渡したが誰一人として歩いていない。白骨と黒焦げの死体だけだった。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/8 | 白神社付近 | |
97 | GE31-25 | 根こそぎ倒れた巨木、黒焦げで男女の別も分からない人々の死体 | 重谷 喜美江(オモタニ キミエ) | 1945/8/8 | 白神社付近 | |
98 | GE29-50 | レールに直角に方向を変えた電車の残骸 | 谷上 一六(タニガミ イチロク) | 1945/8/8 | 白神社付近 | |
99 | GE26-40 | 黒焦げで立ったままの死体を見る | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/7 | 白神社の前の通り | |
100 | GE40-13 | 倒れた白神社のクスノキ、爆風で飛ばされた電車 | 石井 チフ子(イシイ チフコ) | 1945/8/6 | 白神社から紙屋町にかけて |