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トップページ原爆の絵地図 "紙屋町・本通地区"

原爆の絵

地図 "紙屋町・本通地区" で 193 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
81 NG400-05 電気がついたと思い近寄って見ると電柱の先が炭火のようになって点灯しているように見えたのだった。 匿名 1945/8/8~8/9 袋町国民学校
82 NG400-04 クスノキの大木があったが地面から1、2mの黒こげの幹を残して跡形もなくなっていた。 匿名 国泰寺
83 NG400-03 全焼した電車。車内の北側寄りには黒こげのマネキン人形のような立ったままの死体があった。 匿名 1945/8/7 日本銀行広島支店前
84 NG394 2歳くらいの子どもとその母親らしい女性の死体。母は手を前に伸ばし子どもに近づこうとしていた。 香口 真作(コウグチ シンサク) 1945/8/7 白神社
85 NG363 遠縁の家に避難する途中、紙屋町交差点付近では、警防団の人が死体を集めて火葬していた。 横田 勝(ヨコタ マサル) 1945/8/8 紙屋町
86 NG324-03 焼けただれた電車は鉄枠だけになっていた。また乗用車はペシャンコに押しつぶされていた。 林 隆(ハヤシ タカシ) 1945/8/7 紙屋町と相生橋の間
87 NG314-25 目玉や腸が飛び出した死体、真っ黒こげになった男性の死体。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/7 福屋
88 NG314-24 福屋百貨店前では路面電車が脱線し焼けこげて停まっていた。建物の間にはたくさんの人が倒れていた。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/7 福屋
89 NG293-01 焼け跡に横たわる多くの死体。みな黒焦げでパンパンに膨れていた。 松島 道枝(マツシマ ミチエ) 1945/8/7 白神社付近
90 NG292-01-29 焼け野原を見渡したが誰一人として歩いていない。白骨と黒焦げの死体だけだった。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8 白神社付近
91 NG289-02 クスノキの大木が爆風で倒れていた。 実藤 良三(サネトウ リョウゾウ) 1945/8/8 白神社
92 NG283-05 市内中心部にあった小さな散髪屋さん。両親と子ども4人だったが一家全滅した。 鈴木 恒昭(スズキ ツネアキ) 播磨屋町
93 NG278-03 水を求めたのか大きな防火用水槽に頭を突っ込む形で焼死体が並んでいた。 八島 猛(ヤシマ タケシ) 1945/8/9 福屋百貨店前
94 NG278-02 焼け跡で乳飲み子をしっかりと抱きかかえた母親の死体。 八島 猛(ヤシマ タケシ) 1945/8/9 袋町付近
95 NG276-04 福屋百貨店の角にたくさんの兵隊さんの死体が並べてあった。 瀧川 ヤスコ(タキガワ ヤスコ) 1945/8/7 福屋百貨店
96 NG228 防火用水槽の中にいる女性に「助けてー家へ連れて帰ってー」と助けを求められた。 高田 智與子(タカタ チヨコ) 1945/8/6 日本銀行広島支店前
97 NG223-03 軌道上の焼けただれた路面電車。まわりは見渡すかぎりの焼け野原だった。 熊木 久忠(クマキ ヒサタダ) 1945/8/8 大手町二丁目付近
98 NG208-04 紙屋町交差点の「宇品方面より広島駅」行きの電車。車内の人は皆即死の状態だった。 高橋 正明(タカハシ マサアキ) 1945/8/8 紙屋町交差点
99 NG197-05 福屋の避難階段から搬出されていた軍人・軍属の遺体。100体を越えていた。 田中 陽造(タナカ ヨウゾウ) 1945/8/7 福屋新館
100 NG165-03 紙屋町付近は火災であたり一帯は朝霧のように白煙が充満しつつあった。 駒田 保(コマダ タモツ) 1945/8/6 尾道町付近(現NHK広島放送局辺り)

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