地図 "紙屋町・本通地区" で 194 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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101 | NG278-03 | 水を求めたのか大きな防火用水槽に頭を突っ込む形で焼死体が並んでいた。 | 八島 猛(ヤシマ タケシ) | 1945/8/9 | 福屋百貨店前 | |
102 | NG283-05 | 市内中心部にあった小さな散髪屋さん。両親と子ども4人だったが一家全滅した。 | 鈴木 恒昭(スズキ ツネアキ) | 播磨屋町 | ||
103 | NG289-02 | クスノキの大木が爆風で倒れていた。 | 実藤 良三(サネトウ リョウゾウ) | 1945/8/8 | 白神社 | |
104 | NG292-01-29 | 焼け野原を見渡したが誰一人として歩いていない。白骨と黒焦げの死体だけだった。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/8 | 白神社付近 | |
105 | NG293-01 | 焼け跡に横たわる多くの死体。みな黒焦げでパンパンに膨れていた。 | 松島 道枝(マツシマ ミチエ) | 1945/8/7 | 白神社付近 | |
106 | NG314-24 | 福屋百貨店前では路面電車が脱線し焼けこげて停まっていた。建物の間にはたくさんの人が倒れていた。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 1945/8/7 | 福屋 | |
107 | NG314-25 | 目玉や腸が飛び出した死体、真っ黒こげになった男性の死体。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 1945/8/7 | 福屋 | |
108 | NG324-03 | 焼けただれた電車は鉄枠だけになっていた。また乗用車はペシャンコに押しつぶされていた。 | 林 隆(ハヤシ タカシ) | 1945/8/7 | 紙屋町と相生橋の間 | |
109 | NG363 | 遠縁の家に避難する途中、紙屋町交差点付近では、警防団の人が死体を集めて火葬していた。 | 横田 勝(ヨコタ マサル) | 1945/8/8 | 紙屋町 | |
110 | NG394 | 2歳くらいの子どもとその母親らしい女性の死体。母は手を前に伸ばし子どもに近づこうとしていた。 | 香口 真作(コウグチ シンサク) | 1945/8/7 | 白神社 | |
111 | NG400-03 | 全焼した電車。車内の北側寄りには黒こげのマネキン人形のような立ったままの死体があった。 | 匿名 | 1945/8/7 | 日本銀行広島支店前 | |
112 | NG400-04 | クスノキの大木があったが地面から1、2mの黒こげの幹を残して跡形もなくなっていた。 | 匿名 | 国泰寺 | ||
113 | NG400-05 | 電気がついたと思い近寄って見ると電柱の先が炭火のようになって点灯しているように見えたのだった。 | 匿名 | 1945/8/8~8/9 | 袋町国民学校 | |
114 | NG426-02 | 防火用水槽の死体。新しい服装でたぶん警防団のひとだと思う。体がふくらんで皆下を向いて死んでいた。 | 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) | 1945/8/9 | 白神社境内 | |
115 | NG426-03 | 古いキャンパス地のテントのようなものが校庭にたくさん立っていた。 | 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) | 県立広島第一高等女学校校庭 | ||
116 | NG460-11 | 市民が描いた原爆の絵NG460-11 | 池亀 春男(イケガメ ハルオ) | 下中町付近 | ||
117 | NG481 | 倒壊した自宅から抜け出し火災の中を避難する親子。 | 武永 三太郎(タケナガ サンタロウ) | 1945/8/6 | 胡町の自宅近く | |
118 | SG-0012 | 叫び(国泰寺) | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 国泰寺 | ||
119 | SG-0015 | 惨禍のうた(下村時計店) | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 下村時計店 | ||
120 | SG-0017 | 紙屋町付近 | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 紙屋町付近 |