地図 "紙屋町・本通地区" で 194 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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81 | GE46-31 | 夕焼けと廃虚の街 | 坪田 省三(ツボタ ショウゾウ) | 1945/8/6 | 袋町 | |
82 | NG011 | 焼けた路面電車の中で座ったままの黒焦げの乗客、車外に倒れて「お客さん、逃げてください」と叫ぶ運転手 | 児玉 冨美子(コダマ フミコ) | 1945/8/6 | 国泰寺 | |
83 | NG019-09 | 本通り | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 本通り | ||
84 | NG019-18 | 日本銀行広島支店付近 | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 日本銀行広島支店付近 | ||
85 | NG019-20 | 三和銀行付近 | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 三和銀行付近 | ||
86 | NG019-21 | 紙屋町交差点付近 | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 紙屋町交差点付近 | ||
87 | NG019-22 | 国泰寺付近(大楠の木) | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 国泰寺付近 | ||
88 | NG019-24 | 下村時計店付近 | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 下村時計店付近 | ||
89 | NG020-02 | 大家の娘さんの衣服の切れ端。お母さんが毎日捜しに行ったが、遺体はどこにもなかった。 | 布野 正夫(フノ マサオ) | 日本生命広島支店 | ||
90 | NG024-02 | 看護婦として治療に当たる。「水が飲みたい」「体が痛い」と悲鳴をあげていたその時の声が耳から離れない。 | 河野 一郎(コウノ イチロウ) | 福屋 | ||
91 | NG069-05 | 福屋まで来た時玄関から負傷した虫の息の人たちが見え気の毒だった。横には死んだ馬が山になっていた。 | 田島 武雄(タジマ タケオ) | 1945/8/10 | 福屋付近 | |
92 | NG109-03 | 紙屋町電車停留所で焼け焦げて骨組みだけになった路面電車の車内にあった一体の白骨。 | 藤川 博(フジカワ ヒロシ) | 1945/8/7 | 紙屋町電停 | |
93 | NG130-03 | 福屋ビル2階の窓にはムシロを吊り下げていた。広島駅から八丁堀に向かい千田町付近まで見る。 | 吉井 敏春(ヨシイ トシハル) | 1945/9/3 | 福屋 | |
94 | NG165-03 | 紙屋町付近は火災であたり一帯は朝霧のように白煙が充満しつつあった。 | 駒田 保(コマダ タモツ) | 1945/8/6 | 尾道町付近(現NHK広島放送局辺り) | |
95 | NG197-05 | 福屋の避難階段から搬出されていた軍人・軍属の遺体。100体を越えていた。 | 田中 陽造(タナカ ヨウゾウ) | 1945/8/7 | 福屋新館 | |
96 | NG208-04 | 紙屋町交差点の「宇品方面より広島駅」行きの電車。車内の人は皆即死の状態だった。 | 高橋 正明(タカハシ マサアキ) | 1945/8/8 | 紙屋町交差点 | |
97 | NG223-03 | 軌道上の焼けただれた路面電車。まわりは見渡すかぎりの焼け野原だった。 | 熊木 久忠(クマキ ヒサタダ) | 1945/8/8 | 大手町二丁目付近 | |
98 | NG228 | 防火用水槽の中にいる女性に「助けてー家へ連れて帰ってー」と助けを求められた。 | 高田 智與子(タカタ チヨコ) | 1945/8/6 | 日本銀行広島支店前 | |
99 | NG276-04 | 福屋百貨店の角にたくさんの兵隊さんの死体が並べてあった。 | 瀧川 ヤスコ(タキガワ ヤスコ) | 1945/8/7 | 福屋百貨店 | |
100 | NG278-02 | 焼け跡で乳飲み子をしっかりと抱きかかえた母親の死体。 | 八島 猛(ヤシマ タケシ) | 1945/8/9 | 袋町付近 |