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トップページ原爆の絵地図 "比治山・仁保地区"

原爆の絵

地図 "比治山・仁保地区" で 247 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
121 WH05-031 東雲町の猿猴川土手に広がる蓮田 原田 みどり(ハラダ ミドリ) 昭和初期 東雲町の猿猴川土手に広がる蓮田
122 NG106-01 東雲のブドウ畑で野宿する人々。宇品線の車両の中で座ったまま動かない負傷者たち。 草川 ヨシエ(クサカワ ヨシエ) 1945/8/6~8/8 広島駅、東雲町のブドウ畑
123 GE26-48 木陰の荷車に置かれた女性、18時頃死亡、主人らしき人は帰ってこなかった 松室 一雄(マツムロ カズオ) 1945/8/6 善教寺付近
124 GE29-01 暴風が起こり、ガラスの破片で頭と指に負傷した 野島 亀太郎(ノジマ カメタロウ) 1945/8/6 広島陸軍兵器補給廠
125 SG-0159 昭和20年(広島高等師範学校) 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) 1945/8/6 東雲町広島師範学校寄宿舎
126 NG088-16 整列して無条件降伏を知らされる兵隊。その後方に集まって泣く女性たち。 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) 1945/8/15 広島陸軍兵器補給廠
127 GE02-16 救護所の様子、皮膚がぶらさがった学徒達 大田 晴代(オオタ ハルヨ) 1945/8/6 比治山下の救護所
128 GE13-21 手当てを待つ人々の列、校庭の芋畑いっぱいに並べられた負傷者と死者、火葬する兵隊達 高田 滿(タカタ ミツル) 1945/8/6 大河国民学校校庭
129 GE26-28 戦友を捜しあてる。全身やけどで手もかけられない。「娘が娘が」と言って息をひきとった。 赤瀬 喜久一(アカセ キクイチ) 比治山付近
130 NG210-02 息を引き取った赤ん坊を抱き「今まで乳を飲んでいたのに」と悲痛な叫び声を上げる母親。 中津 久子(ナカツ ヒサコ) 仁保町
131 SG-0166 怪我をした友だち 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) 1945/8/6 東雲町広島師範学校の校舎
132 WH03-096 御便殿正面の大鳥居 岡 愛(オカ アイ) 御便殿
133 GE06-43 廿日市へ収容されるため比治山を降りる時の情景 藤瀬 朝子(フジセ アサコ) 1945/8/9 比治山入り口多聞院付近
134 NG371-01 建物疎開作業中B29が飛んできて落下傘を投下する。その後せん光と熱風で地面にたたきつけられた。 原 達郎(ハラ タツオ) 1945/8/6 鶴見橋のたもと近く
135 NG065-01 建物疎開作業に被爆した子どもたち。髪は焼け、顔はすすけて真っ黒、はがれた皮膚がたれさがっていた。 小林 正巳(コバヤシ マサミ) 1945/8/6 広島女子商業学校
136 NG096-02 建物疎開作業に出ていた隣の奥さんが戻ってきた。赤ん坊は背中で死んでいた。奥さんもまもなく亡くなった。 金行 清香(カネユキ キヨカ) 1945/8/6 仁保町
137 NG269-01 建物疎開をしていた女学生と中学生。熱線で焼かれて髪の毛も皮膚もなく口から血を流していた。 早川 耐子(ハヤカワ タエコ) 1945/8/6 比治山下の電車通り(比治山橋、鶴見橋沿い)
138 GE31-12 建物疎開のあとかたづけ作業中に被爆し、建物の下敷きになったものを掘り起こし、負傷者を運ぶ 樽本 叡(タルモト サトシ) 1945/8/6 比治山橋東詰より比治山橋電停付近
139 NG371-03 建物は倒壊し、多数の死者が横たわり、生存者は大やけど負い半狂乱で逃げ惑っていた。 原 達郎(ハラ タツオ) 1945/8/6 鶴見橋のたもと近く
140 SG-0512 広電比治山線路を埋めて逃げ惑う人々 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/6 鶴見橋付近

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