地図 "比治山・仁保地区" で 247 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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181 | WH01-002 | 土手町の長屋 | 高田 滿(タカタ ミツル) | 土手町長屋 | ||
182 | GE28-11 | 国民学校が収容所となり、むしろの上に被爆者を寝かせていた。 | 保田 イサコ(ヤスダ イサコ) | 1945/8/13 | 段原国民学校 | |
183 | GE14-44 | 吊橋下のたくさんの負傷者、死体 | 山村 政子(ヤマムラ マサコ) | 1945/8/6 | 比治山吊橋下(雲霓橋) | |
184 | NG028-02 | 収容所は異臭が漂い、負傷者は、顔の前後、男女の性別も判らない。 | 神原 繁人(カンバラ シゲト) | 1945/8/6 | 広島陸軍兵器補給廠 | |
185 | NG210-05 | 収容された子どもたち。名前はわからずボール紙の番号札がつけられていた。 | 中津 久子(ナカツ ヒサコ) | 比治山国民学校 | ||
186 | NG436-09 | 友人の道子さんを励ましながら逃げてきたが、道子さんは動けなくなって座り込んでしまった。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 金屋町 | |
187 | NG230-01 | 原爆投下直後、オレンジ色の熱線に焼かれる中学生たち。 | 平野 貞男(ヒラノ サダオ) | 1945/8/6 | 県立広島商業学校 | |
188 | NG088-03 | 原爆投下30分後。ケガをして血を流している人々。散乱したガラスの破片。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/6 | 広島陸軍兵器補給廠 | |
189 | NG088-04 | 原爆投下1時間後、広島の街から炎が上がっているのを見る。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/6 | 広島陸軍兵器補給廠 | |
190 | NG230-02 | 原爆投下10秒後、強烈な爆風によりあたり一面暗くなり校舎が浮き上がった。 | 平野 貞男(ヒラノ サダオ) | 1945/8/6 | 県立広島商業学校 | |
191 | NG325-08 | 原爆さく裂直後のせん光ときのこ雲。夜になっても燃え続ける市内。 | 箕浦 良直(ミノウラ ヨシナオ) | 1945/8/6 | 大原神社付近 | |
192 | GE11-31 | 原子砂爆に灯がともる | 田中 儀作(タナカ ギサク) | 1945/9/10 | 比治山山頂 | |
193 | SG-0161 | 午前8時15分 | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/6 | 東雲町広島師範学校寄宿舎の廊下 | |
194 | GE06-24 | 医者に治療を受ける娘、治療を繰り返すが、21日に亡くなる | 奥野 浅子(オクノ アサコ) | 1945/8/11~8/21 | 大河国民学校 | |
195 | GE25-50 | 劫火に包まれ、助けを求める級友 | 吉山 正子(ヨシヤマ マサコ) | 1945/8/6 | 鶴見橋 | |
196 | GE33-04 | 切れた電線が垂れ下がった電車道、「誰か連れてってくれ」と両手を上げて叫ぶ男子学生 | 長岡 ワカエ(ナガオカ ワカエ) | 1945/8/6 | 比治山下の電車通り、多聞院を過ぎた所 | |
197 | GE03-10 | 全身傷つき虫の息の母親にすがりつく幼子 | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 鶴見橋停留所 | ||
198 | NG275 | 全身が焼けただれ片目がとび出た男性がこちらに向かって歩いてきた。その後は火災だった。 | 原田 勇(ハラダ イサム) | 1945/8/6 | 比治山橋 | |
199 | NG034-02 | 倒壊した校舎の下敷きになった子どもを助けることができず、ただ手を握り、声をかけるだけだった。 | 加藤 義典(カトウ ヨシノリ) | 1945/8/6 | 段原国民学校 | |
200 | GE02-42-6 | 倒壊した広島女子商業学校 | 宇野 耕司(ウノ コウジ) | 1945/8/6 | 広島女子商業学校 |