地図 "比治山・仁保地区" で 248 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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GE02-16 | 救護所の様子、皮膚がぶらさがった学徒達 | 大田 晴代(オオタ ハルヨ) | 1945/8/6 | 比治山下の救護所 |
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NG088-16 | 整列して無条件降伏を知らされる兵隊。その後方に集まって泣く女性たち。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/15 | 広島陸軍兵器補給廠 |
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SG-0159 | 昭和20年(広島高等師範学校) | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/6 | 東雲町広島師範学校寄宿舎 |
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GE29-01 | 暴風が起こり、ガラスの破片で頭と指に負傷した | 野島 亀太郎(ノジマ カメタロウ) | 1945/8/6 | 広島陸軍兵器補給廠 |
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GE26-48 | 木陰の荷車に置かれた女性、18時頃死亡、主人らしき人は帰ってこなかった | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 1945/8/6 | 善教寺付近 |
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NG106-01 | 東雲のブドウ畑で野宿する人々。宇品線の車両の中で座ったまま動かない負傷者たち。 | 草川 ヨシエ(クサカワ ヨシエ) | 1945/8/6~8/8 | 広島駅、東雲町のブドウ畑 |
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WH05-031 | 東雲町の猿猴川土手に広がる蓮田 | 原田 みどり(ハラダ ミドリ) | 昭和初期 | 東雲町の猿猴川土手に広がる蓮田 |
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NG325-03 | 桃色とトマト色の光が半円状の波紋となり右から左から交互に交差しながらすーっと消えていった。 | 箕浦 良直(ミノウラ ヨシナオ) | 1945/8/6 | 大原神社付近 |
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NG436-06 | 橋のたもとには被爆した多くの中学校、女学校の低学年の生徒が集まっていた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見橋辺り |
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NG358-04 | 橋の上の歩道には多くの負傷者が横たわり、近くには死んだ馬が悪臭をはなっていた。 | 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) | 1945/8/6 | 比治山橋西詰 |
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GE46-13 | 橋の両側にたおれている負傷者、手引き車・自転車で焼死体を運ぶ | 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) | 1945/8/7 | 比治山橋西詰 |
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GE34-20 | 橋の影で水を求める人々 | 保田 イサコ(ヤスダ イサコ) | 1945/8/6 | 比治山のつり橋の下(雲霓橋) |
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NG314-13 | 橋を渡って下宿先の富士見町に行こうとしたが、対岸は激しく燃えていて、憲兵に止められた。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 1945/8/6 | 鶴見橋 |
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GE16-23 | 死んだ動員学徒 | 中川 謙(ナカガワ ケン) | 鶴見橋周辺 | |
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GE15-20 | 死んだ母親に水をやる子供 | 瀬川 きくの(セガワ キクノ) | 1945/8/7 | 比治山橋 |
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NG088-08 | 死亡した娘の遺体に直射日光が当たらないように畳で影をつくってやる母親。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/7 | 段原町 |
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GE01-28 | 死体を山積にして走っている軍のトラックを見て驚き黙とうを捧げる | 今井 健三(イマイ ケンゾウ) | 1945/8/6 | 比治山橋東詰 |
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GE40-41 | 死体を焼く兵隊 | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/7 | 段原大畑町 |
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GE29-26 | 死体を集める兵隊、道に横たわる負傷者に水を与える | 山村 政子(ヤマムラ マサコ) | 1945/8/6 | 比治山吊橋(雲霓橋) |
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GE25-20 | 段原国民学校の校舎の下敷になった子どもたち | 松村 智恵子(マツムラ チエコ) | 1945/8/6 | 段原国民学校 |