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トップページ原爆の絵地図 "比治山・仁保地区"

原爆の絵

地図 "比治山・仁保地区" で 247 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
101 GE44-70 市立第一国民学校に収容され手当てを受ける 香川 勇(カガワ イサム) 市立第一国民学校、向原
102 GE29-03 市立第一工業学校校庭から見たきのこ雲 三戸 昇(ミト ノボル) 1945/8/6 市立第一工業学校校庭
103 GE32-21 広場いっぱいに集められた死体、叔父を探して一人づつ見て歩く。 武田 益義(タケダ カズヨシ) 1945/8/9頃 比治山公園
104 SG-0196-02 広島・原爆投下時 鈴木 国勢(スズキ コクセイ) 1945/8/6 仁保町より20度の方向
105 NG107-03 広島市上空のB29と投下された落下傘。わきあがる爆煙。 香川 清(カガワ キヨシ) 1945/8/6 丹那の山の中
106 NG088-11 広島陸軍兵器補給廠に収容された人々。3日間でほとんど死亡した。 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) 1945/8/9 広島陸軍兵器補給廠
107 GE39-13 広島陸軍兵器補給廠の救護所に寝かされた多数の負傷者 原田 みどり(ハラダ ミドリ) 1945/8/6 広島陸軍兵器補給廠
108 SG-0512 広電比治山線路を埋めて逃げ惑う人々 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/6 鶴見橋付近
109 NG371-03 建物は倒壊し、多数の死者が横たわり、生存者は大やけど負い半狂乱で逃げ惑っていた。 原 達郎(ハラ タツオ) 1945/8/6 鶴見橋のたもと近く
110 GE31-12 建物疎開のあとかたづけ作業中に被爆し、建物の下敷きになったものを掘り起こし、負傷者を運ぶ 樽本 叡(タルモト サトシ) 1945/8/6 比治山橋東詰より比治山橋電停付近
111 NG269-01 建物疎開をしていた女学生と中学生。熱線で焼かれて髪の毛も皮膚もなく口から血を流していた。 早川 耐子(ハヤカワ タエコ) 1945/8/6 比治山下の電車通り(比治山橋、鶴見橋沿い)
112 NG096-02 建物疎開作業に出ていた隣の奥さんが戻ってきた。赤ん坊は背中で死んでいた。奥さんもまもなく亡くなった。 金行 清香(カネユキ キヨカ) 1945/8/6 仁保町
113 NG065-01 建物疎開作業に被爆した子どもたち。髪は焼け、顔はすすけて真っ黒、はがれた皮膚がたれさがっていた。 小林 正巳(コバヤシ マサミ) 1945/8/6 広島女子商業学校
114 NG371-01 建物疎開作業中B29が飛んできて落下傘を投下する。その後せん光と熱風で地面にたたきつけられた。 原 達郎(ハラ タツオ) 1945/8/6 鶴見橋のたもと近く
115 GE06-43 廿日市へ収容されるため比治山を降りる時の情景 藤瀬 朝子(フジセ アサコ) 1945/8/9 比治山入り口多聞院付近
116 WH03-096 御便殿正面の大鳥居 岡 愛(オカ アイ) 御便殿
117 SG-0166 怪我をした友だち 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) 1945/8/6 東雲町広島師範学校の校舎
118 NG210-02 息を引き取った赤ん坊を抱き「今まで乳を飲んでいたのに」と悲痛な叫び声を上げる母親。 中津 久子(ナカツ ヒサコ) 仁保町
119 GE26-28 戦友を捜しあてる。全身やけどで手もかけられない。「娘が娘が」と言って息をひきとった。 赤瀬 喜久一(アカセ キクイチ) 比治山付近
120 GE13-21 手当てを待つ人々の列、校庭の芋畑いっぱいに並べられた負傷者と死者、火葬する兵隊達 高田 滿(タカタ ミツル) 1945/8/6 大河国民学校校庭

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