地図 "比治山・仁保地区" で 248 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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81 | NG230-03 | 太陽に照らされて体全体がヒリヒリするのに気づいた。まだズボンやゲートルがくすぶっていてた。 | 平野 貞男(ヒラノ サダオ) | 1945/8/6 | 電信隊 | |
82 | NG436-01 | 女子学生たちは青竹で作った竹槍で国を守り自分を守る訓練をしていた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1942頃 | 広島女子商業学校校庭 | |
83 | NG176-14 | 女性たちが炊き出しのむすびを被災者に配っていた。私も一つもらったが食べられなかった。 | 原 廣司(ハラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 段原町 | |
84 | NG314-14 | 学友と2人で負傷者をトラックに乗せる。やけどの人は皮膚が破れすべるので大変だった。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 1945/8/6 | 鶴見橋 | |
85 | GE35-03-3 | 家から非常時持出しの箱と靴を取り、血まみれになって痛みに耐えながら避難する | 宮﨑 綾子(ミヤザキ アヤコ) | 1945/8/6 | 比治山多聞院下 | |
86 | NG401-04 | 家にもどったが誰もいなかった。水道から水が吹き出し一斗缶の米は焼けて真っ黒になっていた。 | 梶田 瞳(カジタ ヒトミ) | 1945/8/6 | 金屋町 | |
87 | GE04-40 | 家の下敷きになった母を消防団に助けてもらう | 高田 滿(タカタ ミツル) | 1945/8/6 | 段原 | |
88 | NG280-04 | 家族との再会。母は私の手をにぎり「よかったね」とあとは涙、涙、涙だった。 | 大西 比呂志(オオニシ ヒロシ) | 1945/8/8 | 大河 | |
89 | SG-0168 | 寄宿舎が倒れたぞ | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/6 | 出汐付近 | |
90 | NG088-07 | 小川に顔をつけて水を飲みながら死ぬ人。防火用水槽の水を飲み息絶える人。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/6 | 段原町 | |
91 | GE26-08 | 屋根の上にしがみついて川を流れている婦人をいかだに乗って助ける。 | 田中 武彦(タナカ タケヒコ) | 1945/8/6 | 鶴見橋上流約50m | |
92 | GE05-43-4 | 屍体を燒く兵 | 宇野 耕司(ウノ コウジ) | 1945/8/8 | 広島陸軍兵器補給廠 | |
93 | NG292-01-14 | 山の上から見る広島市内は炎の海と化していた。これからどうしたらいいんだろうと心細かった。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/6 | 比治山(と思われる) | |
94 | GE13-23 | 山根町内会は爆風で吹きとばされた「真暗闇がすぎた直後」 | 升川 貴志栄(マスカワ キシエ) | 1945/8/6 | 比治山橋西詰 | |
95 | GE39-33 | 山道に並べられた死体を火葬 | 浜尾 八重(ハマオ ヤエ) | 1945/8/8 | 比治山 | |
96 | GE41-16 | 崩れた家の向うの比治山 | 内田 豊(ウチダ ユタカ) | 1945/8/7 | 比治山公園 | |
97 | NG280-02 | 川には死体が折り重なって浮かんでいた。全身やけどの赤ん坊を背負った母親や血まみれの男女が歩いていた。 | 大西 比呂志(オオニシ ヒロシ) | 1945/8/6 | 比治山橋 | |
98 | GE08-28 | 川に浮いた無数の死体 | 田村 幸司(タムラ コウジ) | 1945/8/6 | 比治山橋東 | |
99 | GE13-01 | 川に浮いた無数の死体を舟の兵隊が収容 | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 1945/8/6 | 鶴見橋附近(京橋川) | |
100 | GE33-30 | 川土手で4人の遺体を荼毘にふす | 柳本 睦夫(ヤナギモト ムツオ) | 1945/9 | 猿猴川土手、広島師範学校と東洋工業の間 |