地図 "比治山・仁保地区" で 248 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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41 | NG436-13 | 住み家を失った被災者が山の中腹にあった防空ごう近くのやぶの中に住んでいた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6~8/15 | 仁保町大河平台 | |
42 | SG-0177 | 何も知らぬ予科生 | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/6 | 段原町東大橋付近 | |
43 | NG334-01 | 作業のため電車通りに整列中に被爆した広陵中学校の1年生。先生の背中には火がついていた。 | 松長 雅二(マツナガ マサジ) | 1945/8/6 | 比治山橋付近 | |
44 | NG034-03 | 倒れた柱に手をはさまれた女の子、火が迫ってくるが助け出すことができない。 | 加藤 義典(カトウ ヨシノリ) | 1945/8/6 | 段原国民学校 | |
45 | GE15-01 | 倒れた私と知人の吉本さん | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 1945/8/6 | 比治山公園加藤元帥銅像前の石段 | |
46 | NG088-05 | 倒れている人、血まみれで逃げる親子、泣く子どもなど段原に近くなるにつれて負傷者が多くなっていった。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/6 | 段原方面 | |
47 | GE35-03-2 | 倒れている人に声をかけてあげることもできず、ごめんなさいと謝りながら避難する | 宮﨑 綾子(ミヤザキ アヤコ) | 1945/8/6 | 比治山神社前 | |
48 | GE02-42-6 | 倒壊した広島女子商業学校 | 宇野 耕司(ウノ コウジ) | 1945/8/6 | 広島女子商業学校 | |
49 | NG034-02 | 倒壊した校舎の下敷きになった子どもを助けることができず、ただ手を握り、声をかけるだけだった。 | 加藤 義典(カトウ ヨシノリ) | 1945/8/6 | 段原国民学校 | |
50 | NG275 | 全身が焼けただれ片目がとび出た男性がこちらに向かって歩いてきた。その後は火災だった。 | 原田 勇(ハラダ イサム) | 1945/8/6 | 比治山橋 | |
51 | GE03-10 | 全身傷つき虫の息の母親にすがりつく幼子 | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 鶴見橋停留所 | ||
52 | GE33-04 | 切れた電線が垂れ下がった電車道、「誰か連れてってくれ」と両手を上げて叫ぶ男子学生 | 長岡 ワカエ(ナガオカ ワカエ) | 1945/8/6 | 比治山下の電車通り、多聞院を過ぎた所 | |
53 | GE25-50 | 劫火に包まれ、助けを求める級友 | 吉山 正子(ヨシヤマ マサコ) | 1945/8/6 | 鶴見橋 | |
54 | GE06-24 | 医者に治療を受ける娘、治療を繰り返すが、21日に亡くなる | 奥野 浅子(オクノ アサコ) | 1945/8/11~8/21 | 大河国民学校 | |
55 | SG-0161 | 午前8時15分 | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/6 | 東雲町広島師範学校寄宿舎の廊下 | |
56 | GE11-31 | 原子砂爆に灯がともる | 田中 儀作(タナカ ギサク) | 1945/9/10 | 比治山山頂 | |
57 | NG325-08 | 原爆さく裂直後のせん光ときのこ雲。夜になっても燃え続ける市内。 | 箕浦 良直(ミノウラ ヨシナオ) | 1945/8/6 | 大原神社付近 | |
58 | NG230-02 | 原爆投下10秒後、強烈な爆風によりあたり一面暗くなり校舎が浮き上がった。 | 平野 貞男(ヒラノ サダオ) | 1945/8/6 | 県立広島商業学校 | |
59 | NG088-04 | 原爆投下1時間後、広島の街から炎が上がっているのを見る。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/6 | 広島陸軍兵器補給廠 | |
60 | NG088-03 | 原爆投下30分後。ケガをして血を流している人々。散乱したガラスの破片。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/6 | 広島陸軍兵器補給廠 |