地図 "比治山・仁保地区" で 247 件検索されました。
一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。
検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ![]() |
GE23-28 | 5、6才の重傷の男の子の手術 | 原田 みどり(ハラダ ミドリ) | 1945/8/7 | 広島陸軍兵器補給廠 |
2 | ![]() |
NG162-01 | 7人の方が死亡した我が子をそれぞれ背負って備後十日市に帰るところを目撃した。 | 重安 久人(シゲヤス ヒサト) | 1945/8/9 | 広島駅から南へ1km交差点 |
3 | ![]() |
SG-0160 | 8月6日 | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/6 | 東雲町広島師範学校寄宿舎 |
4 | ![]() |
SG-0180 | 8月7日 | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/7 | 東雲町猿猴川 |
5 | ![]() |
SG-0192 | 8月8日 | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/8 | 東雲町猿猴川の土手 |
6 | ![]() |
GE24-16 | 8.8 段原大畑町 電車とレール、赤十字のテント | 陰山 壽美恵(カゲヤマ スミエ) | 1945/8/8 | 段原大畑町 |
7 | ![]() |
GE24-03 | ③重傷者の救護にあたる作者達 | 谷 豪雄(タニ トシオ) | 1945/8/6 | 比治山付近 |
8 | ![]() |
NG479 | 「兵隊さん、目が見えない」と言って寄ってきた男の子。皮膚は焼けただれ垂れさがっていた。 | 賀川 将(カガワ ススム) | 1945/8/6 | 比治山 |
9 | ![]() |
GE05-19 | 「水をちょうだい」と力なく言う女の子、背中一面の火傷に油薬をぬってもらう人 | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 1945/8/6 | 鶴見橋付近 |
10 | ![]() |
SG-0173 | あぁ悲惨 | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/6 | 比治山橋 |
11 | ![]() |
GE03-42 | いかだの上で被爆し川に飛び込む、多くの被爆者が比治山に逃げて行く | 田中 武彦(タナカ タケヒコ) | 1945/8/6 | 鶴見橋上流約50m |
12 | ![]() |
SG-0163 | いも畑にふせる | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/6 | 東雲町広島師範学校寄宿舎の側の芋畑 |
13 | ![]() |
NG225-03 | お乳を飲ませていたのか胸をはだけたまま赤ちゃんをしっかりと抱きかかえて死んでいた母親。 | 今中 弘子(イマナカ ヒロコ) | 1945/8/7 | 鶴見橋付近 |
14 | ![]() |
NG240 | きのこ雲の中心部は真っ赤な火の玉でそれが再爆発するのではないかと子ども心に恐れながら家路を急いだ。 | 山本 満和(ヤマモト ミツカズ) | 1945/8/6 | 猿猴川沿いから見た市内中心部 |
15 | ![]() |
NG325-05 | きのこ雲は生きているかのようにもこもこと形を変えていった。 | 箕浦 良直(ミノウラ ヨシナオ) | 1945/8/6 | 大原神社付近 |
16 | ![]() |
GE29-43 | けがをしていると言われ見ると赤インクだった | 河部 峯子(カワベ ミネコ) | 1945/8/6 | 南段原の広島陸軍兵器補給廠総務課仮事務所(佐々木別荘) |
17 | ![]() |
NG436-10 | この辺りは焼失は免れたが、破壊は大きく道路には、棚、柱、家庭用品などが所せましと散乱していた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 段原新町、段原中町 |
18 | ![]() |
SG-0164 | こわれた校舎 | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/6 | 東雲町広島師範学校の校舎 |
19 | ![]() |
NG273-02 | とっさに伏せたが、すでに顔・手・首・足をやけどし皮膚がたれ下がった。直後に爆風におそわれた。 | 森下 弘(モリシタ ヒロム) | 1945/8/6 | 鶴見橋西詰 |
20 | ![]() |
GE31-18 | はしご上で息絶えた女性 | 迫 幸一(サコ コウイチ) | 1945/8/8 | 鶴見橋 |