地図 "比治山・仁保地区" で 247 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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61 | WH05-005 | 比治山陸軍墓地 | 吉尾 彰義(ヨシオ アキヨシ) | 昭和初期 | 比治山陸軍墓地 | |
62 | GE06-44 | 負傷しても持ち場を離れられない兵隊、火傷に薬をぬるハケと死体につける荷札を持つ | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 1945/8/6 | 比治山線鶴見橋停留所前 | |
63 | GE24-44 | 爆風で砂ぼこりがたち、電線が道路にはりついていた。 | 保田 イサコ(ヤスダ イサコ) | 1945/8/6 | 比治山神社手前の道路 | |
64 | GE35-03-2 | 倒れている人に声をかけてあげることもできず、ごめんなさいと謝りながら避難する | 宮﨑 綾子(ミヤザキ アヤコ) | 1945/8/6 | 比治山神社前 | |
65 | NG358-08 | 遺体の運搬を手伝う。道の横に松丸太を並べて遺体を置き松の枯枝をおおって火葬していた。 | 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) | 比治山神社の参道 | ||
66 | NG219-01 | ひん死の重傷者がところせましと寝かされていた。やけどで皮膚ははがれ手の施しようがなかった。 | 中平 武司(ナカヒラ タケシ) | 1945/8/6 | 比治山登り口付近 | |
67 | NG358-04 | 橋の上の歩道には多くの負傷者が横たわり、近くには死んだ馬が悪臭をはなっていた。 | 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) | 1945/8/6 | 比治山橋西詰 | |
68 | NG146 | 若い女の人が赤い裾よけ一枚身につけ3、4歳の女の子の手を引き避難していた。 | 古霜 艶子(フルシモ ツヤコ) | 1945/8/6 | 比治山橋西詰 | |
69 | GE46-13 | 橋の両側にたおれている負傷者、手引き車・自転車で焼死体を運ぶ | 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) | 1945/8/7 | 比治山橋西詰 | |
70 | GE13-23 | 山根町内会は爆風で吹きとばされた「真暗闇がすぎた直後」 | 升川 貴志栄(マスカワ キシエ) | 1945/8/6 | 比治山橋西詰 | |
71 | SG-0412 | 父を探しに入市する。死体でうめつくされた川。グラマン戦闘機。 | 原田 敬二(ハラダ ケイジ) | 1945/8/6 | 比治山橋河畔 | |
72 | GE34-49 | 私の先生と同級生の被爆 | 樽本 叡(タルモト サトシ) | 1945/8/6 | 比治山橋東詰より比治山橋電停付近 | |
73 | GE31-12 | 建物疎開のあとかたづけ作業中に被爆し、建物の下敷きになったものを掘り起こし、負傷者を運ぶ | 樽本 叡(タルモト サトシ) | 1945/8/6 | 比治山橋東詰より比治山橋電停付近 | |
74 | NG423 | 多数の負傷者が橋の両側で泣き叫んでいた。 | 造力 晋(ゾウリキ ススム) | 1945/8/6 | 比治山橋東詰 | |
75 | GE01-28 | 死体を山積にして走っている軍のトラックを見て驚き黙とうを捧げる | 今井 健三(イマイ ケンゾウ) | 1945/8/6 | 比治山橋東詰 | |
76 | GE08-28 | 川に浮いた無数の死体 | 田村 幸司(タムラ コウジ) | 1945/8/6 | 比治山橋東 | |
77 | NG334-01 | 作業のため電車通りに整列中に被爆した広陵中学校の1年生。先生の背中には火がついていた。 | 松長 雅二(マツナガ マサジ) | 1945/8/6 | 比治山橋付近 | |
78 | GE07-43 | トラックで負傷者を運ぶ | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 1945/8/6 | 比治山橋付近 | |
79 | SG-0181 | 人がいない比治山橋 | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/7 | 比治山橋と京橋川 | |
80 | SG-0173 | あぁ悲惨 | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/6 | 比治山橋 |