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トップページ原爆の絵地図 "比治山・仁保地区"

原爆の絵

地図 "比治山・仁保地区" で 247 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
41 NG230-03 太陽に照らされて体全体がヒリヒリするのに気づいた。まだズボンやゲートルがくすぶっていてた。 平野 貞男(ヒラノ サダオ) 1945/8/6 電信隊
42 GE08-06 比治山の涼しい木陰を求めて避難する被爆者たち 河野 安夫(コウノ ヤスオ) 1945/8/6 陸軍船舶通信連隊、船舶通信補充隊裏門付近
43 GE15-50 中学生のいたましい姿 後藤 利文(ゴトウ トシフミ) 1945/8/6 陸軍船舶通信連隊、船舶通信補充隊裏比治山防空ごう付近
44 GE03-16 火傷に苦しみ水を求めて水道に集まる人々 勝田 光子(カツタ ミツコ) 1945/8/6 陸軍船舶通信連隊、船舶通信補充隊(電信隊)
45 WH03-011 陸軍船舶通信補充隊 高田 滿(タカタ ミツル) 昭和16年頃 陸軍船舶通信補充隊
46 NG257-02 やけどした少女の顔。 服部 道子(ハットリ ミチコ) 陸軍教育船舶団司令部
47 NG257-01 多くの負傷者を前に食べ物を口にする暇もなく治療にあたる。 服部 道子(ハットリ ミチコ) 陸軍教育船舶団司令部
48 GE05-03 裸で赤黒く焼けただれた男女の見分けのつかない幽霊のような行列 谷 豪雄(タニ トシオ) 1945/8/6 金屋町~比治山神社前
49 GE09-12 大きなコンクリートの下敷になった人を助け出す 植田 ミツコ(ウエダ ミツコ) 1945/8/6 金屋町郵便局前
50 GE37-06 火が迫まる中、家の下敷になった子供を助け出す 今中 重次郎(イマナカ シゲジロウ) 1945/8/6 金屋町の自宅前
51 WH14-014 金屋町・比治山町周辺 植田 ミツコ(ウエダ ミツコ) 昭和15、16年頃 金屋町、比治山町
52 NG436-09 友人の道子さんを励ましながら逃げてきたが、道子さんは動けなくなって座り込んでしまった。 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) 1945/8/6 金屋町
53 NG401-04 家にもどったが誰もいなかった。水道から水が吹き出し一斗缶の米は焼けて真っ黒になっていた。 梶田 瞳(カジタ ヒトミ) 1945/8/6 金屋町
54 GE41-21 軍医による路上の診療 内田 豊(ウチダ ユタカ) 1945/8/9 金屋町
55 WH08-029 比治山の南電信第二大隊 上西 薫(カミニシ カオル) 昭和8年頃 通信電信隊 比治山の南
56 SG-0025 電車線路(稲荷町) 小尻 勉(コジリ ツトム) 稲荷町
57 NG230-02 原爆投下10秒後、強烈な爆風によりあたり一面暗くなり校舎が浮き上がった。 平野 貞男(ヒラノ サダオ) 1945/8/6 県立広島商業学校
58 NG230-01 原爆投下直後、オレンジ色の熱線に焼かれる中学生たち。 平野 貞男(ヒラノ サダオ) 1945/8/6 県立広島商業学校
59 NG240 きのこ雲の中心部は真っ赤な火の玉でそれが再爆発するのではないかと子ども心に恐れながら家路を急いだ。 山本 満和(ヤマモト ミツカズ) 1945/8/6 猿猴川沿いから見た市内中心部
60 GE33-30 川土手で4人の遺体を荼毘にふす 柳本 睦夫(ヤナギモト ムツオ) 1945/9 猿猴川土手、広島師範学校と東洋工業の間

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