地図 "比治山・仁保地区" で 247 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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21 | WH01-002 | 土手町の長屋 | 高田 滿(タカタ ミツル) | 土手町長屋 | ||
22 | NG325-07 | 比治山の向こうはひどく燃えているようであった。 | 箕浦 良直(ミノウラ ヨシナオ) | 1945/8/6 | 大原神社 | |
23 | NG325-01 | 突然空に真珠の玉のようなものが「ボァ」という感じで広がり熱線で顔が熱かった。 | 箕浦 良直(ミノウラ ヨシナオ) | 1945/8/6 | 大原神社付近 | |
24 | NG325-03 | 桃色とトマト色の光が半円状の波紋となり右から左から交互に交差しながらすーっと消えていった。 | 箕浦 良直(ミノウラ ヨシナオ) | 1945/8/6 | 大原神社付近 | |
25 | NG325-04 | 青空には東南東から朝日を受けて白く美しく形のよいきのこ雲がくっきりと浮かんでいた。 | 箕浦 良直(ミノウラ ヨシナオ) | 1945/8/6 | 大原神社付近 | |
26 | NG325-05 | きのこ雲は生きているかのようにもこもこと形を変えていった。 | 箕浦 良直(ミノウラ ヨシナオ) | 1945/8/6 | 大原神社付近 | |
27 | NG325-06 | 白いきのこ雲は黒色と混ざり合いながらタオルを絞って立てたような格好で西北西に向かった。 | 箕浦 良直(ミノウラ ヨシナオ) | 1945/8/6 | 大原神社付近 | |
28 | NG325-08 | 原爆さく裂直後のせん光ときのこ雲。夜になっても燃え続ける市内。 | 箕浦 良直(ミノウラ ヨシナオ) | 1945/8/6 | 大原神社付近 | |
29 | NG280-04 | 家族との再会。母は私の手をにぎり「よかったね」とあとは涙、涙、涙だった。 | 大西 比呂志(オオニシ ヒロシ) | 1945/8/8 | 大河 | |
30 | GE06-24 | 医者に治療を受ける娘、治療を繰り返すが、21日に亡くなる | 奥野 浅子(オクノ アサコ) | 1945/8/11~8/21 | 大河国民学校 | |
31 | GE11-23 | やけどをした患者を手当てする医師と運動場での火葬 | 田村 孝子(タムラ タカコ) | 1945/8/13 | 大河国民学校 | |
32 | GE13-41 | 治療のためメスで膿みを削り取られ、痛さに泣き叫ぶ中学生たち | 奥野 浅子(オクノ アサコ) | 1945/8/11 | 大河国民学校 | |
33 | GE25-23 | 背中一面に突き刺さったガラス破片をとっている医師 | 西尾 達男(ニシオ タツオ) | 1945/8/8 | 大河国民学校 | |
34 | GE40-05 | 大河国民学校 救護所、次々と亡くなる人を火葬にする | 藤村 光子(フジムラ ミツコ)、藤村 智子(フジムラ トモコ) | 1945/8/8 | 大河国民学校 | |
35 | NG227 | トラックが運動場に入ってきて黒くこげた荷物をおろしていた。よく見るとそれは人間の死体だった。 | 山肩 和彦(ヤマガタ カズヒコ) | 1945/8/8 | 大河国民学校 | |
36 | GE37-05 | 被爆直後、ハス田から見た色とりどりのきのこ雲 | 立田 コミ子(タツタ コミネ) | 1945/8/6 | 大河国民学校付近 | |
37 | NG358-07 | 治療のため多くの負傷者が集まっていた。焼けた自転車で遺体を運んでいる人もいた。 | 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) | 被爆から数日後 | 大河国民学校付近 | |
38 | NG436-12 | 立ち上がることができず座り込んでいると幸いにも知り合いのおばさんが私を見つけてくれた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 大河国民学校前 | |
39 | GE13-21 | 手当てを待つ人々の列、校庭の芋畑いっぱいに並べられた負傷者と死者、火葬する兵隊達 | 高田 滿(タカタ ミツル) | 1945/8/6 | 大河国民学校校庭 | |
40 | NG390 | 草刈り作業中、閃光を見て急いで寮に帰る。先生の指示で全壊した寮から友人の遺体を運び出す。 | 今田 則登(イマダ ノリト) | 1945/8/6 | 安芸郡奥海田村の学校林~皆実町一丁目の寮 |