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トップページ原爆の絵地図 "比治山・仁保地区"

原爆の絵

地図 "比治山・仁保地区" で 247 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
221 NG371-01 建物疎開作業中B29が飛んできて落下傘を投下する。その後せん光と熱風で地面にたたきつけられた。 原 達郎(ハラ タツオ) 1945/8/6 鶴見橋のたもと近く
222 NG371-02 背中に熱風を感じ息をすると異臭がした。目を開けると夜のように薄暗くなっていた。 原 達郎(ハラ タツオ) 1945/8/6 鶴見橋のたもと近く
223 NG371-03 建物は倒壊し、多数の死者が横たわり、生存者は大やけど負い半狂乱で逃げ惑っていた。 原 達郎(ハラ タツオ) 1945/8/6 鶴見橋のたもと近く
224 GE06-08 骨折で倒れた私、ニワトリをかかえた弟と会う、山道を逃げる人々 松室 一雄(マツムロ カズオ) 1945/8/6 鶴見橋より比治山に登る道
225 GE40-11 防空ごうに収容され水を求める被爆者 杉原 悟(スギハラ サトル) 1945/8/6 鶴見橋より比治山に至る道
226 SG-0514 鶴見橋の上にも下にも大勢の負傷者 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/6 鶴見橋上
227 GE03-42 いかだの上で被爆し川に飛び込む、多くの被爆者が比治山に逃げて行く 田中 武彦(タナカ タケヒコ) 1945/8/6 鶴見橋上流約50m
228 GE26-08 屋根の上にしがみついて川を流れている婦人をいかだに乗って助ける。 田中 武彦(タナカ タケヒコ) 1945/8/6 鶴見橋上流約50m
229 GE05-19 「水をちょうだい」と力なく言う女の子、背中一面の火傷に油薬をぬってもらう人 松室 一雄(マツムロ カズオ) 1945/8/6 鶴見橋付近
230 GE24-06 髪を振り乱し、ほとんど裸で、川向こうから逃げてくる人々 上田 富貴代(ウエダ フキヨ) 1945/8/6 鶴見橋付近
231 GE44-01 火の海の中を自宅へ向う作者 道辻 芳子(ミチツジ ヨシコ) 1945/8/6 鶴見橋付近
232 NG225-03 お乳を飲ませていたのか胸をはだけたまま赤ちゃんをしっかりと抱きかかえて死んでいた母親。 今中 弘子(イマナカ ヒロコ) 1945/8/7 鶴見橋付近
233 SG-0512 広電比治山線路を埋めて逃げ惑う人々 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/6 鶴見橋付近
234 GE11-47 鶴見橋のたもとで全身火傷した被災者 増田 辰男(マスダ タツオ) 1945/8/6 鶴見橋付近(竹屋町)
235 GE03-10 全身傷つき虫の息の母親にすがりつく幼子 松室 一雄(マツムロ カズオ) 鶴見橋停留所
236 GE16-23 死んだ動員学徒 中川 謙(ナカガワ ケン) 鶴見橋周辺
237 GE11-18 水を求める人々、上半身前側の皮膚が剥がれ尚歩いている男の人 土居 ミチ(ドイ ミチ) 1945/8/6 鶴見橋東詰
238 NG436-07 多聞院正面の入口につながる登り口にはたくさんの負傷者が力尽きて座っていた。 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) 1945/8/6 鶴見橋東詰から比治山西北方面の電車通り
239 GE29-20 やけどでふくれあがった死体がムシロをかけて並べてあった。 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) 1945/8/7 鶴見橋西側
240 GE12-33 重傷の警防団員とその妻 松室 一雄(マツムロ カズオ) 1945/8/7 鶴見橋西詰

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