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トップページ原爆の絵地図 "比治山・仁保地区"

原爆の絵

地図 "比治山・仁保地区" で 247 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
201 NG257-01 多くの負傷者を前に食べ物を口にする暇もなく治療にあたる。 服部 道子(ハットリ ミチコ) 陸軍教育船舶団司令部
202 NG257-02 やけどした少女の顔。 服部 道子(ハットリ ミチコ) 陸軍教育船舶団司令部
203 WH03-011 陸軍船舶通信補充隊 高田 滿(タカタ ミツル) 昭和16年頃 陸軍船舶通信補充隊
204 GE03-16 火傷に苦しみ水を求めて水道に集まる人々 勝田 光子(カツタ ミツコ) 1945/8/6 陸軍船舶通信連隊、船舶通信補充隊(電信隊)
205 GE15-50 中学生のいたましい姿 後藤 利文(ゴトウ トシフミ) 1945/8/6 陸軍船舶通信連隊、船舶通信補充隊裏比治山防空ごう付近
206 GE08-06 比治山の涼しい木陰を求めて避難する被爆者たち 河野 安夫(コウノ ヤスオ) 1945/8/6 陸軍船舶通信連隊、船舶通信補充隊裏門付近
207 NG230-03 太陽に照らされて体全体がヒリヒリするのに気づいた。まだズボンやゲートルがくすぶっていてた。 平野 貞男(ヒラノ サダオ) 1945/8/6 電信隊
208 NG462-02 防火用水槽の水を飲もうとする大やけどを負った人。 児玉 宇多子(コダマ ウタコ) 1945/8/6 青崎一丁目の国道沿いの防火用水槽
209 GE24-15 裸で火傷した親子、親を捜す子供達 森井 アヤコ(モリイ アヤコ) 青崎国民学校
210 GE21-26 京橋川を自分が舟にのり流れているところ 徳富 ヨシコ(トクトミ ヨシコ) 1945/8/6 鶴見橋
211 GE25-50 劫火に包まれ、助けを求める級友 吉山 正子(ヨシヤマ マサコ) 1945/8/6 鶴見橋
212 GE26-18 鶴見橋近くに横たわっている火ぶくれの人々 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) 1945/8/7 鶴見橋
213 GE31-18 はしご上で息絶えた女性 迫 幸一(サコ コウイチ) 1945/8/8 鶴見橋
214 GE38-09 水を求め橋の下に逃げた人々 柴田 フミ子(シバタ フミコ) 1945/8/6 鶴見橋
215 NG314-13 橋を渡って下宿先の富士見町に行こうとしたが、対岸は激しく燃えていて、憲兵に止められた。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/6 鶴見橋
216 NG314-14 学友と2人で負傷者をトラックに乗せる。やけどの人は皮膚が破れすべるので大変だった。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/6 鶴見橋
217 SG-0513 人通り出来ない鶴見橋、避難場所になる 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/6 鶴見橋
218 SG-0516 火がまわってきた鶴見橋。橋の下の橋脚につかまる大勢の負傷者 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/6 鶴見橋
219 WH13-028 鶴見橋周辺 田中 輝(タナカ テル) 大正 鶴見橋
220 WH13-069 京橋川の鶴見橋付近の川原でシジミを捕る人々 松室 一雄(マツムロ カズオ) 鶴見橋

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