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トップページ原爆の絵地図 "比治山・仁保地区"

原爆の絵

地図 "比治山・仁保地区" で 247 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
41 SG-0180 8月7日 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) 1945/8/7 東雲町猿猴川
42 NG225-03 お乳を飲ませていたのか胸をはだけたまま赤ちゃんをしっかりと抱きかかえて死んでいた母親。 今中 弘子(イマナカ ヒロコ) 1945/8/7 鶴見橋付近
43 NG193-03 黒、茶色など何とも言えない色の死体をトビ口で集め山のようにして火葬する。 坪中 愛子(ツボナカ アイコ) 1945/8/7 比治山下
44 NG176-14 女性たちが炊き出しのむすびを被災者に配っていた。私も一つもらったが食べられなかった。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 段原町
45 NG088-08 死亡した娘の遺体に直射日光が当たらないように畳で影をつくってやる母親。 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) 1945/8/7 段原町
46 NG055-02 衣服が焼けやけどした若い女性。近くにいた人が手に持っていた服を腰に巻いてあげたら涙を流してた。 奥窪 和郎(オククボ カズオ) 1945/8/7 仁保国民学校臨時救護所
47 GE46-13 橋の両側にたおれている負傷者、手引き車・自転車で焼死体を運ぶ 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) 1945/8/7 比治山橋西詰
48 GE41-16 崩れた家の向うの比治山 内田 豊(ウチダ ユタカ) 1945/8/7 比治山公園
49 GE40-41 死体を焼く兵隊 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) 1945/8/7 段原大畑町
50 GE29-20 やけどでふくれあがった死体がムシロをかけて並べてあった。 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) 1945/8/7 鶴見橋西側
51 GE26-18 鶴見橋近くに横たわっている火ぶくれの人々 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) 1945/8/7 鶴見橋
52 GE23-28 5、6才の重傷の男の子の手術 原田 みどり(ハラダ ミドリ) 1945/8/7 広島陸軍兵器補給廠
53 GE15-20 死んだ母親に水をやる子供 瀬川 きくの(セガワ キクノ) 1945/8/7 比治山橋
54 GE12-33 重傷の警防団員とその妻 松室 一雄(マツムロ カズオ) 1945/8/7 鶴見橋西詰
55 GE05-32 比治山からみた市街、ほとんど燃えつき点々と炎があがっていた 松室 一雄(マツムロ カズオ) 1945/8/7 比治山
56 NG106-01 東雲のブドウ畑で野宿する人々。宇品線の車両の中で座ったまま動かない負傷者たち。 草川 ヨシエ(クサカワ ヨシエ) 1945/8/6~8/8 広島駅、東雲町のブドウ畑
57 GE31-07 避難してきた人々、手の皮がぶらさがり、両手をやけどしていた 衣笠 正幸(キヌガサ マサユキ) 1945/8/6~8/7 広島陸軍兵器補給廠
58 NG436-13 住み家を失った被災者が山の中腹にあった防空ごう近くのやぶの中に住んでいた。 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) 1945/8/6~8/15 仁保町大河平台
59 GE25-31 多数の水を求める負傷者たち、谷間での火葬 福井 千代(フクイ チヨ) 1945/8/6、8/7 比治山本町周辺
60 SG-0516 火がまわってきた鶴見橋。橋の下の橋脚につかまる大勢の負傷者 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/6 鶴見橋

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