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トップページ原爆の絵地図 "比治山・仁保地区"

原爆の絵

地図 "比治山・仁保地区" で 247 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
221 NG226-03 父は額を5針も縫う傷を負い両眼は失明状態であったが、竹の杖をたよりに一人で家に帰り着いた。 西山 勝登(ニシヤマ カツト) 1945/8/8 段原大畑町
222 NG227 トラックが運動場に入ってきて黒くこげた荷物をおろしていた。よく見るとそれは人間の死体だった。 山肩 和彦(ヤマガタ カズヒコ) 1945/8/8 大河国民学校
223 NG280-04 家族との再会。母は私の手をにぎり「よかったね」とあとは涙、涙、涙だった。 大西 比呂志(オオニシ ヒロシ) 1945/8/8 大河
224 SG-0192 8月8日 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) 1945/8/8 東雲町猿猴川の土手
225 GE06-43 廿日市へ収容されるため比治山を降りる時の情景 藤瀬 朝子(フジセ アサコ) 1945/8/9 比治山入り口多聞院付近
226 GE15-25 やけどに赤チンと食用油をぬり新聞紙をはられる負傷者 上野 清明(ウエノ キヨアキ) 1945/8/9 仁保国民学校
227 GE41-21 軍医による路上の診療 内田 豊(ウチダ ユタカ) 1945/8/9 金屋町
228 NG088-11 広島陸軍兵器補給廠に収容された人々。3日間でほとんど死亡した。 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) 1945/8/9 広島陸軍兵器補給廠
229 NG117-02 大八車で死体を猿猴川の土手に運び8カ所の穴に死体を入れてガソリンをかけて火葬する。 加茂 一三(カモ カズミ) 1945/8/9 仁保国民学校近くの猿猴川の土手
230 NG162-01 7人の方が死亡した我が子をそれぞれ背負って備後十日市に帰るところを目撃した。 重安 久人(シゲヤス ヒサト) 1945/8/9 広島駅から南へ1km交差点
231 NG453-02 大八車で死体を猿猴川の土手に運び8カ所の穴に死体を入れてガソリンをかけて火葬する。 加茂 一三(カモ カズミ) 1945/8/9 仁保国民学校近くの猿猴川の土手
232 GE32-21 広場いっぱいに集められた死体、叔父を探して一人づつ見て歩く。 武田 益義(タケダ カズヨシ) 1945/8/9頃 比治山公園
233 NG301 一人の女性が木片を拾い集めて家族らしき遺体をだびに付していた。 飯田 誠造(イイダ セイゾウ) 1945/8/9~8/11 比治山
234 GE33-30 川土手で4人の遺体を荼毘にふす 柳本 睦夫(ヤナギモト ムツオ) 1945/9 猿猴川土手、広島師範学校と東洋工業の間
235 GE11-31 原子砂爆に灯がともる 田中 儀作(タナカ ギサク) 1945/9/10 比治山山頂
236 WH13-028 鶴見橋周辺 田中 輝(タナカ テル) 大正 鶴見橋
237 WH01-042 比治山の大砲から宇品湾を眺める 折田 憲三(オリタ ケンゾウ) 大正12年頃 比治山の大砲
238 WH05-023 比治山御便殿 加川 博美(カガワ ハクミ) 戦前 比治山御便殿
239 WH05-034 土手町の風景 山村 勝利(ヤマムラ カツトシ) 昭和14、15年頃 土手町
240 WH14-014 金屋町・比治山町周辺 植田 ミツコ(ウエダ ミツコ) 昭和15、16年頃 金屋町、比治山町

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