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トップページ原爆の絵地図 "比治山・仁保地区"

原爆の絵

地図 "比治山・仁保地区" で 247 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
181 SG-0178 避難して来る人々 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) 1945/8/6 東雲町広島高等師範学校付近
182 SG-0196-02 広島・原爆投下時 鈴木 国勢(スズキ コクセイ) 1945/8/6 仁保町より20度の方向
183 SG-0412 父を探しに入市する。死体でうめつくされた川。グラマン戦闘機。 原田 敬二(ハラダ ケイジ) 1945/8/6 比治山橋河畔
184 SG-0512 広電比治山線路を埋めて逃げ惑う人々 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/6 鶴見橋付近
185 SG-0513 人通り出来ない鶴見橋、避難場所になる 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/6 鶴見橋
186 SG-0514 鶴見橋の上にも下にも大勢の負傷者 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/6 鶴見橋上
187 SG-0515 比治山下に集まる負傷者たち 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/6 比治山下
188 SG-0516 火がまわってきた鶴見橋。橋の下の橋脚につかまる大勢の負傷者 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/6 鶴見橋
189 GE25-31 多数の水を求める負傷者たち、谷間での火葬 福井 千代(フクイ チヨ) 1945/8/6、8/7 比治山本町周辺
190 NG436-13 住み家を失った被災者が山の中腹にあった防空ごう近くのやぶの中に住んでいた。 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) 1945/8/6~8/15 仁保町大河平台
191 GE31-07 避難してきた人々、手の皮がぶらさがり、両手をやけどしていた 衣笠 正幸(キヌガサ マサユキ) 1945/8/6~8/7 広島陸軍兵器補給廠
192 NG106-01 東雲のブドウ畑で野宿する人々。宇品線の車両の中で座ったまま動かない負傷者たち。 草川 ヨシエ(クサカワ ヨシエ) 1945/8/6~8/8 広島駅、東雲町のブドウ畑
193 GE05-32 比治山からみた市街、ほとんど燃えつき点々と炎があがっていた 松室 一雄(マツムロ カズオ) 1945/8/7 比治山
194 GE12-33 重傷の警防団員とその妻 松室 一雄(マツムロ カズオ) 1945/8/7 鶴見橋西詰
195 GE15-20 死んだ母親に水をやる子供 瀬川 きくの(セガワ キクノ) 1945/8/7 比治山橋
196 GE23-28 5、6才の重傷の男の子の手術 原田 みどり(ハラダ ミドリ) 1945/8/7 広島陸軍兵器補給廠
197 GE26-18 鶴見橋近くに横たわっている火ぶくれの人々 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) 1945/8/7 鶴見橋
198 GE29-20 やけどでふくれあがった死体がムシロをかけて並べてあった。 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) 1945/8/7 鶴見橋西側
199 GE40-41 死体を焼く兵隊 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) 1945/8/7 段原大畑町
200 GE41-16 崩れた家の向うの比治山 内田 豊(ウチダ ユタカ) 1945/8/7 比治山公園

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