地図 "比治山・仁保地区" で 247 件検索されました。
一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。
検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
---|---|---|---|---|---|---|
101 | NG257-01 | 多くの負傷者を前に食べ物を口にする暇もなく治療にあたる。 | 服部 道子(ハットリ ミチコ) | 陸軍教育船舶団司令部 | ||
102 | NG257-02 | やけどした少女の顔。 | 服部 道子(ハットリ ミチコ) | 陸軍教育船舶団司令部 | ||
103 | GE40-11 | 防空ごうに収容され水を求める被爆者 | 杉原 悟(スギハラ サトル) | 1945/8/6 | 鶴見橋より比治山に至る道 | |
104 | NG436-01 | 女子学生たちは青竹で作った竹槍で国を守り自分を守る訓練をしていた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1942頃 | 広島女子商業学校校庭 | |
105 | NG436-06 | 橋のたもとには被爆した多くの中学校、女学校の低学年の生徒が集まっていた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見橋辺り | |
106 | NG436-07 | 多聞院正面の入口につながる登り口にはたくさんの負傷者が力尽きて座っていた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見橋東詰から比治山西北方面の電車通り | |
107 | NG436-08 | 火災は拡大し火事嵐が吹き始めた。私たちがこの辺りに来たときはすでに倒れた家から火が出ていた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 旧松川町メイン通り付近 | |
108 | NG436-09 | 友人の道子さんを励ましながら逃げてきたが、道子さんは動けなくなって座り込んでしまった。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 金屋町 | |
109 | NG436-10 | この辺りは焼失は免れたが、破壊は大きく道路には、棚、柱、家庭用品などが所せましと散乱していた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 段原新町、段原中町 | |
110 | NG436-11 | ようやく母校にたどりつく。ほとんどの校舎は倒れていて屋内体操場と白鳩記念館がかろうじて立っていた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 広島女子商業学校 | |
111 | NG436-12 | 立ち上がることができず座り込んでいると幸いにも知り合いのおばさんが私を見つけてくれた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 大河国民学校前 | |
112 | NG436-13 | 住み家を失った被災者が山の中腹にあった防空ごう近くのやぶの中に住んでいた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6~8/15 | 仁保町大河平台 | |
113 | GE02-08 | 比治山から市中に降る黒い雨を見る、水道の水に集まり水を飲む人々 | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 1945/8/6 | 比治山 | |
114 | GE03-10 | 全身傷つき虫の息の母親にすがりつく幼子 | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 鶴見橋停留所 | ||
115 | GE03-39 | 炎の上を歩いた足裏の火傷のようす | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 1945/8/6 | 比治山公園釣橋下 | |
116 | GE04-17 | 道に横たわる多くの負傷者たち | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 1945/8/6 | 比治山公園つり橋付近 | |
117 | GE05-19 | 「水をちょうだい」と力なく言う女の子、背中一面の火傷に油薬をぬってもらう人 | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 1945/8/6 | 鶴見橋付近 | |
118 | GE05-32 | 比治山からみた市街、ほとんど燃えつき点々と炎があがっていた | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 1945/8/7 | 比治山 | |
119 | GE06-08 | 骨折で倒れた私、ニワトリをかかえた弟と会う、山道を逃げる人々 | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 1945/8/6 | 鶴見橋より比治山に登る道 | |
120 | GE06-44 | 負傷しても持ち場を離れられない兵隊、火傷に薬をぬるハケと死体につける荷札を持つ | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 1945/8/6 | 比治山線鶴見橋停留所前 |