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トップページ原爆の絵地図 "比治山・仁保地区"

原爆の絵

地図 "比治山・仁保地区" で 248 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
161 NG275 全身が焼けただれ片目がとび出た男性がこちらに向かって歩いてきた。その後は火災だった。 原田 勇(ハラダ イサム) 1945/8/6 比治山橋
162 NG280-02 川には死体が折り重なって浮かんでいた。全身やけどの赤ん坊を背負った母親や血まみれの男女が歩いていた。 大西 比呂志(オオニシ ヒロシ) 1945/8/6 比治山橋
163 NG280-04 家族との再会。母は私の手をにぎり「よかったね」とあとは涙、涙、涙だった。 大西 比呂志(オオニシ ヒロシ) 1945/8/8 大河
164 NG292-01-12 男性が自動車を止め、草むらに倒れているやけどの若い兵隊を乗せて手当てしてやってくれと頼んでいた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 比治山下(と思われる)
165 NG292-01-13 白いテント張りの救護所で兵隊が負傷者にうどん粉を溶いたような白い液体を頭からかけていた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 比治山(と思われる)
166 NG292-01-14 山の上から見る広島市内は炎の海と化していた。これからどうしたらいいんだろうと心細かった。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 比治山(と思われる)
167 NG292-01-15 大通りに出ると数えられないほどの黒こげの死体があり、人影はなく泣き叫ぶ声も聞こえなかった。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 比治山下(と思われる)
168 NG292-02-09 焼けただれた人たちが泣き叫んでいた。兵隊さんがやけどの白い薬を負傷者にかけていた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 比治山(と思われる)
169 NG292-02-10 燃える市内を見ながらなぜこうなってしまったのか理解できなかった。全員目はうつろだった。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 比治山(と思われる)
170 NG301 一人の女性が木片を拾い集めて家族らしき遺体をだびに付していた。 飯田 誠造(イイダ セイゾウ) 1945/8/9~8/11 比治山
171 NG314-13 橋を渡って下宿先の富士見町に行こうとしたが、対岸は激しく燃えていて、憲兵に止められた。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/6 鶴見橋
172 NG314-14 学友と2人で負傷者をトラックに乗せる。やけどの人は皮膚が破れすべるので大変だった。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/6 鶴見橋
173 NG325-01 突然空に真珠の玉のようなものが「ボァ」という感じで広がり熱線で顔が熱かった。 箕浦 良直(ミノウラ ヨシナオ) 1945/8/6 大原神社付近
174 NG325-03 桃色とトマト色の光が半円状の波紋となり右から左から交互に交差しながらすーっと消えていった。 箕浦 良直(ミノウラ ヨシナオ) 1945/8/6 大原神社付近
175 NG325-04 青空には東南東から朝日を受けて白く美しく形のよいきのこ雲がくっきりと浮かんでいた。 箕浦 良直(ミノウラ ヨシナオ) 1945/8/6 大原神社付近
176 NG325-05 きのこ雲は生きているかのようにもこもこと形を変えていった。 箕浦 良直(ミノウラ ヨシナオ) 1945/8/6 大原神社付近
177 NG325-06 白いきのこ雲は黒色と混ざり合いながらタオルを絞って立てたような格好で西北西に向かった。 箕浦 良直(ミノウラ ヨシナオ) 1945/8/6 大原神社付近
178 NG325-07 比治山の向こうはひどく燃えているようであった。 箕浦 良直(ミノウラ ヨシナオ) 1945/8/6 大原神社
179 NG325-08 原爆さく裂直後のせん光ときのこ雲。夜になっても燃え続ける市内。 箕浦 良直(ミノウラ ヨシナオ) 1945/8/6 大原神社付近
180 NG334-01 作業のため電車通りに整列中に被爆した広陵中学校の1年生。先生の背中には火がついていた。 松長 雅二(マツナガ マサジ) 1945/8/6 比治山橋付近

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