地図 "比治山・仁保地区" で 248 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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121 | NG088-04 | 原爆投下1時間後、広島の街から炎が上がっているのを見る。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/6 | 広島陸軍兵器補給廠 | |
122 | NG088-05 | 倒れている人、血まみれで逃げる親子、泣く子どもなど段原に近くなるにつれて負傷者が多くなっていった。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/6 | 段原方面 | |
123 | NG088-06 | 水を求める負傷者たち。水を飲ます兵隊。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/6 | 段原町 | |
124 | NG088-07 | 小川に顔をつけて水を飲みながら死ぬ人。防火用水槽の水を飲み息絶える人。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/6 | 段原町 | |
125 | NG088-08 | 死亡した娘の遺体に直射日光が当たらないように畳で影をつくってやる母親。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/7 | 段原町 | |
126 | NG088-09 | 負傷者に水を与える兵隊。頭に包帯をして病室から水を飲みに来る人。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/8 | 広島陸軍兵器補給廠 | |
127 | NG088-11 | 広島陸軍兵器補給廠に収容された人々。3日間でほとんど死亡した。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/9 | 広島陸軍兵器補給廠 | |
128 | NG088-16 | 整列して無条件降伏を知らされる兵隊。その後方に集まって泣く女性たち。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/15 | 広島陸軍兵器補給廠 | |
129 | NG096-01 | 隣のご主人が顔も足も赤茶色に腫れ上がり、見えない目でよろめきながら帰ってきた。 | 金行 清香(カネユキ キヨカ) | 1945/8/6 | 仁保町 | |
130 | NG096-02 | 建物疎開作業に出ていた隣の奥さんが戻ってきた。赤ん坊は背中で死んでいた。奥さんもまもなく亡くなった。 | 金行 清香(カネユキ キヨカ) | 1945/8/6 | 仁保町 | |
131 | NG106-01 | 東雲のブドウ畑で野宿する人々。宇品線の車両の中で座ったまま動かない負傷者たち。 | 草川 ヨシエ(クサカワ ヨシエ) | 1945/8/6~8/8 | 広島駅、東雲町のブドウ畑 | |
132 | NG107-01 | 丹那の山の中で作業中に見た原爆投下前のB29と落下傘。落下傘につけられた装置がコーラの缶程度に見えた。 | 香川 清(カガワ キヨシ) | 1945/8/6 | 丹那の山の中 | |
133 | NG107-02 | 爆風のため地面に倒れ、その後頭を上げて市内中心部を見る。原爆投下直後の爆雲。 | 香川 清(カガワ キヨシ) | 1945/8/6 | 丹那の山の中 | |
134 | NG107-03 | 広島市上空のB29と投下された落下傘。わきあがる爆煙。 | 香川 清(カガワ キヨシ) | 1945/8/6 | 丹那の山の中 | |
135 | NG117-02 | 大八車で死体を猿猴川の土手に運び8カ所の穴に死体を入れてガソリンをかけて火葬する。 | 加茂 一三(カモ カズミ) | 1945/8/9 | 仁保国民学校近くの猿猴川の土手 | |
136 | NG146 | 若い女の人が赤い裾よけ一枚身につけ3、4歳の女の子の手を引き避難していた。 | 古霜 艶子(フルシモ ツヤコ) | 1945/8/6 | 比治山橋西詰 | |
137 | NG155-01 | ほこりと暗闇の中、男女の区別も出来ないほど髪は乱れ薄くまとった衣服のあちこちに血が染まった人たち。 | 中島 和明(ナカジマ カズアキ) | 1945/8/6 | 比治山本町 | |
138 | NG155-02 | 比治山の防空ごうと集められた死体の火葬 | 中島 和明(ナカジマ カズアキ) | 比治山公園 | ||
139 | NG162-01 | 7人の方が死亡した我が子をそれぞれ背負って備後十日市に帰るところを目撃した。 | 重安 久人(シゲヤス ヒサト) | 1945/8/9 | 広島駅から南へ1km交差点 | |
140 | NG176-14 | 女性たちが炊き出しのむすびを被災者に配っていた。私も一つもらったが食べられなかった。 | 原 廣司(ハラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 段原町 |