地図 "平和記念公園・周辺地区" で 286 件検索されました。
一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。
検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
---|---|---|---|---|---|---|
121 | NG331-05 | 焼け跡で集めた遺骨を大きなかめに入れて慈仙寺鼻に運ぶ。側に無傷の遺体があり妙に白く感じられた。 | 松長 静子(マツナガ シズコ) | 1945/8/12 | 慈仙寺鼻 | |
122 | GE11-40 | 新大橋周辺に横たわる市立第一高等女学校と県立広島第二中学校生徒の死体 | 山根 壽登(ヤマネ ヒサト) | 1945/8/7 | 新大橋 | |
123 | GE31-23 | 川の中、川沿いに倒れた中学生、女学生の死体 | 保田 あきの(ヤスダ アキノ) | 1945/8/8~8/10 | 新大橋 | |
124 | WH09-028 | 本川の中州の野球 | 瀬越 鉄蔵(セゴシ テツゾウ) | 大正初期 | 新大橋南 | |
125 | GE05-11 | 動員学徒の死体でいっぱいの土手や川、橋から我が子の名を呼ぶ母親 | 炭本 末子(スミモト スエコ) | 1945/8/7 | 新大橋東詰 | |
126 | GE06-11 | 砂利のように積んである人骨の中に家族の骨を捜す | 木村 貞子(キムラ サダコ) | 1945/8/20 | 新大橋西詰 | |
127 | NG345 | 新橋は焼け落ち対岸にあるはずの我が家はなく絶望感から級友と2人声もなく泣いた。 | 大西 安子(オオニシ ヤスコ) | 1945/8/6 | 新橋 | |
128 | GE09-16 | 焼け跡の防火用水漕での女学生奉仕隊の死 | 木村 貞子(キムラ サダコ) | 1945/8/8 | 新橋付近(現在の平和大橋付近) | |
129 | NG360-01 | 父を捜して市内に入る。川岸沿いの石垣に沿って多数の男女生徒が折り重なり息絶えていた。 | 木下 ミサヱ(キノシタ ミサエ) | 1945/8/7 | 本川(中島本町付近と思われる) | |
130 | SG-0575 | 本川でシジミ取り | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1942年~1943頃 夏期 干潮日 | 本川 新大橋南側中央付近 | |
131 | NG415-01 | 建物疎開作業をしていた動員学徒たち。爆風に飛ばされ熱線でやけどし本川に向かって逃げた。 | 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) | 1945/8/6 | 本川付近 | |
132 | GE05-35 | 瓦礫の山となった市内、折れた鉄塔の川向こうに本川国民学校が見える | 煙石(土井)二三枝(エンセキ(ドイ) フミエ) | 本川国民学校 | ||
133 | GE10-34 | 罹災証明書の発行、重傷者に名札をつける | 山下 正夫(ヤマシタ マサオ) | 1945/8/13~ | 本川国民学校 | |
134 | GE15-07 | 本川国民学校で重傷の母に風を送る幼女2人 | 進藤 博(シンドウ ヒロシ) | 1945/8/10 | 本川国民学校 | |
135 | GE28-18 | 救護所で水を求める人々 | 衣笠 正幸(キヌガサ マサユキ) | 1945/8/7 | 本川国民学校 | |
136 | GE45-16 | 倒壊した建物のすき間から広島県産業奨励館が見える | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 1945/8/20頃 | 本川国民学校 | |
137 | NG024-21 | 看護婦として負傷者の治療をする。全身火傷で真っ黒になった人が並べられていた。 | 河野 一郎(コウノ イチロウ) | 1945/8/8 | 本川国民学校 | |
138 | GE35-12 | 水を求める被爆者、焼けた電車の中の死体 | 佐々木 博(ササキ ヒロシ) | 1945/8/6 | 本川国民学校付近 | |
139 | NG024-28 | 母と妹と3人で疎開先から父を捜しに行く。仕事場にあった白骨死体が父であろうと母子で骨を拾った。 | 河野 一郎(コウノ イチロウ) | 1945/08/08 | 本川国民学校前 | |
140 | NG358-05 | 防空ごうの上に頭蓋骨が大きさをそろえてきれいに並べられていた。そっと手を合せた。 | 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) | 1945/8/10~8/11 | 本川国民学校近く |