menu

トップページ原爆の絵地図 "平和記念公園・周辺地区"

原爆の絵

地図 "平和記念公園・周辺地区" で 286 件検索されました。

一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。

前へ

次へ

検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
121 NG125-04 相生橋のたもとで十字架に打ち付けられていた米軍捕虜の死体。ただ両手をあわせて冥福を祈った。 山田 須磨子(ヤマダ スマコ) 1945/8/7 相生橋
122 NG125-03 相生橋のたもとの米軍捕虜の死体。二人とも青白い悲しそうな顔をしていた。 山田 須磨子(ヤマダ スマコ) 1945/8/7 相生橋
123 NG125-02 相生橋のたもとで十字架に打ち付けられていた米軍捕虜の死体。ただ両手をあわせて冥福を祈った。 山田 須磨子(ヤマダ スマコ) 1945/8/7 相生橋
124 NG109-02 橋には大きな穴が空き、川には数え切れない程の死体が浮いていた。 藤川 博(フジカワ ヒロシ) 1945/8/7 相生橋
125 NG109-01 橋には大きな穴が開き、川には数え切れないほどの死体が浮いていた。 藤川 博(フジカワ ヒロシ) 1945/8/7 相生橋
126 NG091-01 元安川からは「助けてくれ」という悲鳴が聞こえた。大きな防火用水槽では5,6人が重なって死んでいた。 山崎 寛治(ヤマサキ カンジ) 1945/8/7 天神町
127 NG072-03 天神町通りから元安橋にまがる角の三叉路上に北北西に向かって大人が四つ這いになり硬直して死亡していた。 壷井 進(ツボイ ススム) 1945/8/7 燃料会館前
128 NG072-02 防火用水槽の中で5人の中学生が座ったままの格好で亡くなっていた。まだあどけなく1年生と思われた。 壷井 進(ツボイ ススム) 1945/8/7 天神町南、津田産婦人科医院前
129 NG033 瓦礫に埋められて上半身だけ白骨化した中学生の死体。頭はなく背骨だけ立っているものもあった。 松本 喜代三(マツモト キヨソウ) 1945/8/7 中島新町
130 NG014-02 広島県産業奨励館近く、白骨化した建物疎開作業の中学生 豊田 清史(トヨタ セイシ) 1945/8/7 細工町、広島県産業奨励館付近
131 NG014-01 広島県産業奨励館近く、瓦礫の中の白骨化した中学生たちの死体 豊田 清史(トヨタ セイシ) 1945/8/7 細工町の川岸、広島県産業奨励館付近
132 GE44-23 大きな水漕の中に7、8人が水を求めて入っていた 室積 淑美(ムロズミ ヒデミ) 1945/8/7 天神町
133 GE44-18 水槽の中の折り重なった死体 若狭 藤雄(ワカサ フジオ) 1945/8/7 天神町
134 GE43-29 50歳くらいの男子の死体 進藤 博(シンドウ ヒロシ) 1945/8/7 天神町セメント組合(旧中村医院)入口
135 GE43-15 防火用水槽の中の立ったままの少女の死体 永尾 勝實(ナガオ カツミ) 1945/8/7 相生橋西詰
136 GE42-45 元安川付近の焼け野原 瀬戸 芳松(セト ヨシマツ) 1945/8/7 元安橋付近
137 GE41-31 防火用水槽の水を求めてたくさんの人たちが集まり死んでいた。 秋山 和男(アキヤマ カズオ) 1945/8/7 相生橋西詰
138 GE41-27 全身火傷で身内をたずねて力なく歩く人 秋山 和男(アキヤマ カズオ) 1945/8/7 爆心地付近
139 GE39-26 橋上、川中、土手の無数の死体 光貞 泰(ミツサダ ユタカ) 1945/8/7 元安橋
140 GE38-25 馬の死体と軍靴に巻きゲートルの片足 上藤 軍六(ウエトウ グンロク) 1945/8/7 相生橋

前へ

次へ

Page Top