地図 "平和記念公園・周辺地区" で 286 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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101 | NG340 | 自宅焼け跡を掘り父の遺骨を見つけた。広島産業奨励館前では動員学徒たちが並んで死んでいた。 | 松井 妙子(マツイ タエコ) | 1945/8/7と8/8 | 広島県産業奨励館前、研屋町の自宅 | |
102 | GE01-48 | アメリカ兵が両手を釘で打ちつけられこめかみを銃で撃ちぬかれている | 山田 須磨子(ヤマダ スマコ) | 1945/8/7、8/8 | 相生橋電停 | |
103 | WH09-011 | 被爆後相生橋附近の母子 | 鍛治屋 末美(カジヤ スエミ) | 1945/8/7 | 相生橋 | |
104 | SG-0260 | アメリカ兵 | 壷井 進(ツボイ ススム) | 1945/8/7 | 相生橋東詰 | |
105 | SG-0259 | 母と子の焼死体 | 壷井 進(ツボイ ススム) | 1945/8/7 | 原爆ドームの南側 | |
106 | SG-0258 | 母の死 | 壷井 進(ツボイ ススム) | 1945/8/7 | 天神町自宅 | |
107 | SG-0141 | 被爆直後の原爆ドーム | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) | 1945/8/7 | 相生橋より原爆ドーム | |
108 | NG478-07 | 川一面に浮く多くの死体 | 辻口 清吉(ツジグチ セイキチ) | 1945/8/7 | 元安川 | |
109 | NG478-04 | マンホールの中から助けを求める全身やけどの女性。焼けただれた顔を気にしていた。 | 辻口 清吉(ツジグチ セイキチ) | 1945/8/7 | 広島県産業奨励館付近 | |
110 | NG472-02 | 道端に横たわる黒い死体と瓦れきの街 | 右近 明敏(ウコン アキトシ) | 1945/8/7 | 中島本町 | |
111 | NG472-01 | 燃料会館(元大正屋呉服店) | 右近 明敏(ウコン アキトシ) | 1945/8/7 | 中島本町 | |
112 | NG433-02 | 真っ黒な焼死体。手足を広げて口を開け舌はふくらんで飛び出し眼球は20cmくらい飛び出していた。 | 田邉 俊三郎(タナベ シュンザブロウ) | 1945/8/7 | 中島本町(と思われる) | |
113 | NG360-02 | 大きな防火用水槽には亡くなった人が赤く茹だったようになって浮かび、泡を吹いている人もいた。 | 木下 ミサヱ(キノシタ ミサエ) | 1945/8/7 | 材木町(と思われる) | |
114 | NG360-01 | 父を捜して市内に入る。川岸沿いの石垣に沿って多数の男女生徒が折り重なり息絶えていた。 | 木下 ミサヱ(キノシタ ミサエ) | 1945/8/7 | 本川(中島本町付近と思われる) | |
115 | NG314-28 | 川上から黄茶色の袈裟を着た僧侶が一人うちわ太鼓を打ち何か唱えながら川下の方へ歩いていった。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 1945/8/7 | 相生橋 | |
116 | NG314-27 | 数え切れないほどの死体が本川や元安川の川沿い道路に並べられていた。兵隊がそれを火葬していた。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 1945/8/7 | 広島県産業奨励館 | |
117 | NG204-04 | 焼け残った電柱に革のジャンパーを着た外人飛行士が一人、後ろ手にされうなだれて座っていた。 | 香川 嘉久(カガワ ヨシヒサ) | 1945/8/7 | 相生橋東 | |
118 | NG193-05 | 相生橋の下は水死体でいっぱいで、男性は上向き、女性は下向きに5、6倍にふくれあがっていた。 | 坪中 愛子(ツボナカ アイコ) | 1945/8/7 | 相生橋 | |
119 | NG193-04 | 米軍捕虜が、ひも、電線でぐるぐる巻きにされ、その周辺には、石、がれき山のように投げられていた。 | 坪中 愛子(ツボナカ アイコ) | 1945/8/7 | 相生橋 | |
120 | NG188-01 | 大八車を引いたままの姿勢で死んだ3人の兵士。裸で剣と軍靴と革脚胖だけが残っていた。 | 藤本 英雄(フジモト ヒデオ) | 1945/8/7 | 相生橋 |