menu

トップページ原爆の絵地図 "平和記念公園・周辺地区"

原爆の絵

地図 "平和記念公園・周辺地区" で 286 件検索されました。

一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。

前へ

次へ

検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
161 NG091-01 元安川からは「助けてくれ」という悲鳴が聞こえた。大きな防火用水槽では5,6人が重なって死んでいた。 山崎 寛治(ヤマサキ カンジ) 1945/8/7 天神町
162 NG109-01 橋には大きな穴が開き、川には数え切れないほどの死体が浮いていた。 藤川 博(フジカワ ヒロシ) 1945/8/7 相生橋
163 NG109-02 橋には大きな穴が空き、川には数え切れない程の死体が浮いていた。 藤川 博(フジカワ ヒロシ) 1945/8/7 相生橋
164 NG125-02 相生橋のたもとで十字架に打ち付けられていた米軍捕虜の死体。ただ両手をあわせて冥福を祈った。 山田 須磨子(ヤマダ スマコ) 1945/8/7 相生橋
165 NG125-03 相生橋のたもとの米軍捕虜の死体。二人とも青白い悲しそうな顔をしていた。 山田 須磨子(ヤマダ スマコ) 1945/8/7 相生橋
166 NG125-04 相生橋のたもとで十字架に打ち付けられていた米軍捕虜の死体。ただ両手をあわせて冥福を祈った。 山田 須磨子(ヤマダ スマコ) 1945/8/7 相生橋
167 NG188-01 大八車を引いたままの姿勢で死んだ3人の兵士。裸で剣と軍靴と革脚胖だけが残っていた。 藤本 英雄(フジモト ヒデオ) 1945/8/7 相生橋
168 NG193-04 米軍捕虜が、ひも、電線でぐるぐる巻きにされ、その周辺には、石、がれき山のように投げられていた。 坪中 愛子(ツボナカ アイコ) 1945/8/7 相生橋
169 NG193-05 相生橋の下は水死体でいっぱいで、男性は上向き、女性は下向きに5、6倍にふくれあがっていた。 坪中 愛子(ツボナカ アイコ) 1945/8/7 相生橋
170 NG204-04 焼け残った電柱に革のジャンパーを着た外人飛行士が一人、後ろ手にされうなだれて座っていた。 香川 嘉久(カガワ ヨシヒサ) 1945/8/7 相生橋東
171 NG314-27 数え切れないほどの死体が本川や元安川の川沿い道路に並べられていた。兵隊がそれを火葬していた。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/7 広島県産業奨励館
172 NG314-28 川上から黄茶色の袈裟を着た僧侶が一人うちわ太鼓を打ち何か唱えながら川下の方へ歩いていった。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/7 相生橋
173 NG360-01 父を捜して市内に入る。川岸沿いの石垣に沿って多数の男女生徒が折り重なり息絶えていた。 木下 ミサヱ(キノシタ ミサエ) 1945/8/7 本川(中島本町付近と思われる)
174 NG360-02 大きな防火用水槽には亡くなった人が赤く茹だったようになって浮かび、泡を吹いている人もいた。 木下 ミサヱ(キノシタ ミサエ) 1945/8/7 材木町(と思われる)
175 NG433-02 真っ黒な焼死体。手足を広げて口を開け舌はふくらんで飛び出し眼球は20cmくらい飛び出していた。 田邉 俊三郎(タナベ シュンザブロウ) 1945/8/7 中島本町(と思われる)
176 NG472-01 燃料会館(元大正屋呉服店) 右近 明敏(ウコン アキトシ) 1945/8/7 中島本町
177 NG472-02 道端に横たわる黒い死体と瓦れきの街 右近 明敏(ウコン アキトシ) 1945/8/7 中島本町
178 NG478-04 マンホールの中から助けを求める全身やけどの女性。焼けただれた顔を気にしていた。 辻口 清吉(ツジグチ セイキチ) 1945/8/7 広島県産業奨励館付近
179 NG478-07 川一面に浮く多くの死体 辻口 清吉(ツジグチ セイキチ) 1945/8/7 元安川
180 SG-0141 被爆直後の原爆ドーム 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 1945/8/7 相生橋より原爆ドーム

前へ

次へ

Page Top