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トップページ原爆の絵地図 "平和記念公園・周辺地区"

原爆の絵

地図 "平和記念公園・周辺地区" で 286 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
101 SG-0057 相生橋の電車道のめくれあがったコンクリート、作業員たち 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 相生橋
102 GE16-13 相生橋付近の様子、人の姿はなく遺体が散乱していた。 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 相生橋付近
103 GE12-35 崩れたレンガの中にあった若い女性の首 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 1945/8/8 本川橋西詰土手を南へ20mの所
104 GE38-50 広島県商工経済会に集まった人々、助けてという元気もなく、水、水とつぶやいていた。 渡慶次 恒徳(トケシ コウトク) 1945/8/8 広島県商工経済会
105 NG044-10 元安川はこわれた家や橋のがれきで一杯になり、人や牛馬の死骸で埋められた。 清水 正明(シミズ マサアキ) 元安川
106 NG044-01 一瞬にして世の中全てが青白い閃光の中に消えてしまった。空中高く吹き飛ばされた人間が空から降ってきた。 清水 正明(シミズ マサアキ) 1945/8/6 相生橋
107 GE31-21 自転車から放り出された死体 浜尾 八重(ハマオ ヤエ) 1945/8/8 細工町
108 SG-0340 原爆炸裂1.5秒後の広島市街 泉原 寅男(イズハラ トラオ) 1945/8/6 太田川
109 NG024-28 母と妹と3人で疎開先から父を捜しに行く。仕事場にあった白骨死体が父であろうと母子で骨を拾った。 河野 一郎(コウノ  イチロウ) 1945/08/08 本川国民学校前
110 NG024-23 帰郷のため呉から広島に行く。焼け野原になった街を見てショックで声も出なかった。 河野 一郎(コウノ  イチロウ) 1945/8/15 中島本町付近
111 NG024-21 看護婦として負傷者の治療をする。全身火傷で真っ黒になった人が並べられていた。 河野 一郎(コウノ  イチロウ) 1945/8/8 本川国民学校
112 NG364-05 家で白骨になった父母と姉を見つける。3人の遺骨を拾い自分も死のうとしたができなかった。 河内 政子(コウチ マサコ) 1945/8/10 塚本町の自宅
113 NG364-04 家に帰ろうとして3日目に相生橋まで来る。橋の欄干はこわれ川や学校は死体でいっぱいだった。 河内 政子(コウチ マサコ) 1945/8/9 相生橋
114 WH10-008 相生橋 沖元 嘉造(オキモト カゾウ) 相生橋
115 SG-0400 終戦翌年に復員し見た風景 永山 春三(ナガヤマ ハルソウ) 1946/8 猿楽町
116 WH09-014 広島県物産陳列館 永尾 勝實(ナガオ カツミ) 広島県物産陳列館
117 WH09-006 広島県物産陳列館の開館 永尾 勝實(ナガオ カツミ) 大正4年 広島県物産陳列館
118 GE43-15 防火用水槽の中の立ったままの少女の死体 永尾 勝實(ナガオ カツミ) 1945/8/7 相生橋西詰
119 GE09-23 焼け跡の高い家の木にはさまれた黒焦げの死体、木につながれ立ったまま死んでいた馬 正田 ツネヨ(ショウダ ツネヨ) 1945/8/8 中島本町、土橋
120 NG274-02 川のそばには兵隊さんの真っ黒焦げの死体が並べられていた。 橋本 マチヨ(ハシモト マチヨ) 1945/8/9 相生橋付近

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