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トップページ原爆の絵地図 "平和記念公園・周辺地区"

原爆の絵

地図 "平和記念公園・周辺地区" で 286 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
201 SG-0208 救援救護活動。遺体の処理。小さな池に首を突っ込んで亡くなっていた人々。 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) 1945/8/8~1945/8/10 池。原爆ドーム
202 NG358-05 防空ごうの上に頭蓋骨が大きさをそろえてきれいに並べられていた。そっと手を合せた。 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) 1945/8/10~8/11 本川国民学校近く
203 GE27-22 橋上で火傷の負傷者に黄色い油を塗る兵隊 田坂 元(タサカ ハジメ) 1945/8/6 相生橋
204 NG069-09 広島県産業奨励館付近。半死半生の人やすでに亡くなっている人でいっぱいだった。 田島 武雄(タジマ タケオ) 広島県産業奨励館
205 NG433-02 真っ黒な焼死体。手足を広げて口を開け舌はふくらんで飛び出し眼球は20cmくらい飛び出していた。 田邉 俊三郎(タナベ シュンザブロウ) 1945/8/7 中島本町(と思われる)
206 SG-0237 被爆前の材木町・誓願寺の池を描いたもの 畦田 栄一(ウネダ エイイチ) 誓願寺
207 GE42-48 原爆死没者慰霊碑 広島平和の鐘 矢野 シゲ子(ヤノ シゲコ) 平和記念公園
208 WH14-036 広島県産業奨励館周辺 矢野 シゲ子(ヤノ シゲコ) 広島県産業奨励館
209 GE01-06 負傷者を背負って逃げる 石川 新蔵(イシカワ シンゾウ) 1945/8/7 相生橋西側
210 NG028-03 川岸の石段に倒れた黒焦げの死体、流木の中を流れる死体 神原 繁人(カンバラ シゲト) 1845/8/7 広島県産業奨励館川岸
211 GE41-27 全身火傷で身内をたずねて力なく歩く人 秋山 和男(アキヤマ カズオ) 1945/8/7 爆心地付近
212 GE41-31 防火用水槽の水を求めてたくさんの人たちが集まり死んでいた。 秋山 和男(アキヤマ カズオ) 1945/8/7 相生橋西詰
213 GE42-08 防火用水槽の周囲にはたくさんの人が死んでいた。ほとんどの人が全身やけどで皮膚は破れ赤裸だった。 秋山 和男(アキヤマ カズオ) 相生橋西詰付近
214 WH13-026 元安橋から川下の船着場を望む。ここは瀬戸内海の島との重要な交通の要地であった。 秋山 和男(アキヤマ カズオ) 元安橋
215 WH14-124 T字型になる前の相生橋。慈仙寺鼻にかけられた木造の橋と電車専用橋。 秋山 和男(アキヤマ カズオ) 相生橋
216 WH13-066 元安川周辺 稲井 大良(イナイ タイラ) 昭和13、14年頃 元安橋
217 NG343-01 死体は手足が焼け落ち目や舌、腸が飛び出していた。馬も同様に死んでいた。 竹内 勇(タケウチ イサム) 広島県産業奨励館付近
218 NG314-27 数え切れないほどの死体が本川や元安川の川沿い道路に並べられていた。兵隊がそれを火葬していた。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/7 広島県産業奨励館
219 NG314-28 川上から黄茶色の袈裟を着た僧侶が一人うちわ太鼓を打ち何か唱えながら川下の方へ歩いていった。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/7 相生橋
220 GE01-26 睾丸が膨張した死体 綿岡 順次郎(ワタオカ ジュンジロウ) 1945/8/7 相生橋西詰200m

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