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トップページ原爆の絵地図 "平和記念公園・周辺地区"

原爆の絵

地図 "平和記念公園・周辺地区" で 286 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
161 NG314-27 数え切れないほどの死体が本川や元安川の川沿い道路に並べられていた。兵隊がそれを火葬していた。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/7 広島県産業奨励館
162 NG314-28 川上から黄茶色の袈裟を着た僧侶が一人うちわ太鼓を打ち何か唱えながら川下の方へ歩いていった。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/7 相生橋
163 NG320 熱さで川に飛び込み流される人々。 鈴木 太三郎(スズキ タサブロウ) 1945/8/6 広島県産業奨励館付近
164 NG331-05 焼け跡で集めた遺骨を大きなかめに入れて慈仙寺鼻に運ぶ。側に無傷の遺体があり妙に白く感じられた。 松長 静子(マツナガ シズコ) 1945/8/12 慈仙寺鼻
165 NG334-02 廃虚になった広島県産業奨励館 松長 雅二(マツナガ マサジ) 広島県産業奨励館
166 NG335-01 被爆した女生徒たちが水を求めてさまよっていた。水をあげようとしたが憲兵に注意されできなかった。 原田 敬二(ハラダ ケイジ) 1945/8/6
167 NG335-02 被爆した女生徒たちが水を求めてさまよっていた。水をあげようとしたが憲兵に注意されできなかった。 原田 敬二(ハラダ ケイジ) 1945/8/6
168 NG340 自宅焼け跡を掘り父の遺骨を見つけた。広島産業奨励館前では動員学徒たちが並んで死んでいた。 松井 妙子(マツイ タエコ) 1945/8/7と8/8 広島県産業奨励館前、研屋町の自宅
169 NG343-01 死体は手足が焼け落ち目や舌、腸が飛び出していた。馬も同様に死んでいた。 竹内 勇(タケウチ イサム) 広島県産業奨励館付近
170 NG345 新橋は焼け落ち対岸にあるはずの我が家はなく絶望感から級友と2人声もなく泣いた。 大西 安子(オオニシ ヤスコ) 1945/8/6 新橋
171 NG358-05 防空ごうの上に頭蓋骨が大きさをそろえてきれいに並べられていた。そっと手を合せた。 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) 1945/8/10~8/11 本川国民学校近く
172 NG360-01 父を捜して市内に入る。川岸沿いの石垣に沿って多数の男女生徒が折り重なり息絶えていた。 木下 ミサヱ(キノシタ ミサエ) 1945/8/7 本川(中島本町付近と思われる)
173 NG360-02 大きな防火用水槽には亡くなった人が赤く茹だったようになって浮かび、泡を吹いている人もいた。 木下 ミサヱ(キノシタ ミサエ) 1945/8/7 材木町(と思われる)
174 NG364-04 家に帰ろうとして3日目に相生橋まで来る。橋の欄干はこわれ川や学校は死体でいっぱいだった。 河内 政子(コウチ マサコ) 1945/8/9 相生橋
175 NG364-05 家で白骨になった父母と姉を見つける。3人の遺骨を拾い自分も死のうとしたができなかった。 河内 政子(コウチ マサコ) 1945/8/10 塚本町の自宅
176 NG366 人影のない爆心地付近。突然ザーとふりそそいだせん光を浴びる。暗い焦土の中の赤い火を見つめる。 梅村 定二(ウメムラ サダジ) 1945/8/末、8/6、8/9 広島県産業奨励館、比治山下
177 NG415-01 建物疎開作業をしていた動員学徒たち。爆風に飛ばされ熱線でやけどし本川に向かって逃げた。 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6 本川付近
178 NG415-04 病院本部に報告することもできず町をさまよった。相生橋の上には路面電車は火災で真っ赤になっていた。 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6 相生橋
179 NG415-05 下敷きになった女性が赤ん坊をささげて「どうかこの子を助けてください」と叫んでいた。 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6 広島県産業奨励館
180 NG433-02 真っ黒な焼死体。手足を広げて口を開け舌はふくらんで飛び出し眼球は20cmくらい飛び出していた。 田邉 俊三郎(タナベ シュンザブロウ) 1945/8/7 中島本町(と思われる)

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