地図 "平和記念公園・周辺地区" で 286 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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121 | NG024-21 | 看護婦として負傷者の治療をする。全身火傷で真っ黒になった人が並べられていた。 | 河野 一郎(コウノ イチロウ) | 1945/8/8 | 本川国民学校 | |
122 | NG024-23 | 帰郷のため呉から広島に行く。焼け野原になった街を見てショックで声も出なかった。 | 河野 一郎(コウノ イチロウ) | 1945/8/15 | 中島本町付近 | |
123 | NG024-28 | 母と妹と3人で疎開先から父を捜しに行く。仕事場にあった白骨死体が父であろうと母子で骨を拾った。 | 河野 一郎(コウノ イチロウ) | 1945/08/08 | 本川国民学校前 | |
124 | NG027 | 欄干の落ちた相生橋には、焼けただれた自転車や電線、骨組だけになった路面電車が残されていた。 | 島川 省三(シマカワ ショウゾウ) | 1945/9/4 | 相生橋 | |
125 | NG028-03 | 川岸の石段に倒れた黒焦げの死体、流木の中を流れる死体 | 神原 繁人(カンバラ シゲト) | 1845/8/7 | 広島県産業奨励館川岸 | |
126 | NG033 | 瓦礫に埋められて上半身だけ白骨化した中学生の死体。頭はなく背骨だけ立っているものもあった。 | 松本 喜代三(マツモト キヨソウ) | 1945/8/7 | 中島新町 | |
127 | NG044-01 | 一瞬にして世の中全てが青白い閃光の中に消えてしまった。空中高く吹き飛ばされた人間が空から降ってきた。 | 清水 正明(シミズ マサアキ) | 1945/8/6 | 相生橋 | |
128 | NG044-10 | 元安川はこわれた家や橋のがれきで一杯になり、人や牛馬の死骸で埋められた。 | 清水 正明(シミズ マサアキ) | 元安川 | ||
129 | NG063-03 | 広島県産業奨励館とその前の元安川に浮く死体。 | 遠藤 留雄(エンドウ トメオ) | 広島県産業奨励館付近 | ||
130 | NG069-09 | 広島県産業奨励館付近。半死半生の人やすでに亡くなっている人でいっぱいだった。 | 田島 武雄(タジマ タケオ) | 広島県産業奨励館 | ||
131 | NG071-09 | 相生橋の様子 | 長見 英希(ナガミ ヒデキ) | 1945/8/8 | 相生橋 | |
132 | NG072-02 | 防火用水槽の中で5人の中学生が座ったままの格好で亡くなっていた。まだあどけなく1年生と思われた。 | 壷井 進(ツボイ ススム) | 1945/8/7 | 天神町南、津田産婦人科医院前 | |
133 | NG072-03 | 天神町通りから元安橋にまがる角の三叉路上に北北西に向かって大人が四つ這いになり硬直して死亡していた。 | 壷井 進(ツボイ ススム) | 1945/8/7 | 燃料会館前 | |
134 | NG091-01 | 元安川からは「助けてくれ」という悲鳴が聞こえた。大きな防火用水槽では5,6人が重なって死んでいた。 | 山崎 寛治(ヤマサキ カンジ) | 1945/8/7 | 天神町 | |
135 | NG091-02 | 兵隊が防火用水槽の中の死体や散乱している死体を集め枕木を積み重ねて重油をかけて火葬した。 | 山崎 寛治(ヤマサキ カンジ) | 1945/8/8 | 現在の平和記念公園 | |
136 | NG101-02 | 建物は全部焼けてがれきの山の中に所々にバラックが建っていた。 | 井上 田鶴子(イノウエ タヅコ) | 広島県産業奨励館 | ||
137 | NG105-01 | 焼け野原になった市内のようす | 小川 勝澄(オガワ カツスミ) | |||
138 | NG105-02 | 焼け野原になった市内のようす | 小川 勝澄(オガワ カツスミ) | |||
139 | NG105-03 | 焼け野原になった市内のようす | 小川 勝澄(オガワ カツスミ) | |||
140 | NG109-01 | 橋には大きな穴が開き、川には数え切れないほどの死体が浮いていた。 | 藤川 博(フジカワ ヒロシ) | 1945/8/7 | 相生橋 |