トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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121 | GE21-08 | 雲は真黒い塊となり雷が鳴り始める。 | 原田 義諦(ハラダ ギタイ) | 1945/8/6 | 佐伯郡観音村倉重 | |
122 | GE21-07 | 雲に吸い込まれるゴミや木片 | 原田 義諦(ハラダ ギタイ) | 1945/8/6 | 佐伯郡観音村倉重 | |
123 | GE04-09 | 雨の中に浮かびあがるドームと多くの骸骨 | 世良 戸城(セラ トジョウ) | 相生橋 | ||
124 | GE11-16 | 隊列を組み、かけ足で走るやけどをした兵隊 | 神山 幸子(コウヤマ ユキコ) | 1945/8/6 | 牛田本町二重堤防 | |
125 | GE37-33 | 陸軍病院は吹き飛び、野砲隊の馬が爆風で飛ばされて死んでいた。 | 糸原 正義(イトハラ マサヨシ) | 広島第一陸軍病院 | ||
126 | GE06-01 | 陸軍幼年学校での被爆直後の様子、崩れた建物、吹き飛ばされた衛兵隊員や歩兵銃 | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) | 1945/8/6 | 広島陸軍幼年学校 | |
127 | GE03-23 | 陸軍兵士10名くらいの半裸の死体と馬の死体 | 古川 正一(フルカワ ショウイチ) | 1945/8/9 | 鶴羽根神社前 | |
128 | GE07-22 | 陸軍の船が負傷者を島に運ぶ、川の中は死んだ人、水を求める人であふれている | 菊田 良三(キクタ リョウゾウ) | 1945/8/6 | 江波山横の海岸 | |
129 | GE13-13 | 院内の地獄のような様子 | 内田 栄一(ウチダ エイイチ) | 1945/8/6 | 広島第一陸軍病院 | |
130 | GE42-49 | 阿蘇高天原聖徳堂 | 矢野 シゲ子(ヤノ シゲコ) | 阿蘇 | ||
131 | GE41-35 | 防空ごう内に避難してきた被爆者。すでに死んでいる人もいた。 | 秋山 和男(アキヤマ カズオ) | 1945/8/7 | 西練兵場の防空壕 | |
132 | GE42-09 | 防空ごう内にたくさんの人が避難していた。みな全身やけどで苦痛を訴えていた。 | 秋山 和男(アキヤマ カズオ) | 西練兵場の防空壕 | ||
133 | GE37-38 | 防空ごうの中の負傷者 | 右近 文子(ウコン フミコ) | 東照宮近く | ||
134 | GE31-39 | 防空ごうの中に人形のように蒸焼きになった死者たち、天満川の死体 | 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) | 1945/8/7 | 広瀬北町 | |
135 | GE26-43 | 防空ごうの中、寒くて震えがとまらない | 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) | 1945/8/6 | ||
136 | GE21-28 | 防空ごうに殺到し亡くなった人々。ほとんどが全裸であった。 | 赤木 恵(アカギ メグム) | 1945/8/6 | 比治山参道付近 | |
137 | GE40-11 | 防空ごうに収容され水を求める被爆者 | 杉原 悟(スギハラ サトル) | 1945/8/6 | 鶴見橋より比治山に至る道 | |
138 | GE36-04 | 防空ごうから書類を持ち、出た途端爆風で飛ばされる。 | 河部 峯子(カワベ ミネコ) | 1945/8/6 | 南段原の広島陸軍兵器補給廠総務課仮事務所(佐々木別荘) | |
139 | GE29-35 | 防火用水漕の死体、馬の死体、相生橋、広島県産業奨励館 | 高橋 正明(タカハシ マサアキ) | 1945/8/7 | 十日市交差点 | |
140 | GE24-28 | 防火用水漕の中の若い女の死体と馬車馬の死体 | 溝上 勝馬(ミゾウエ カツマ) | 1945/8/9 | 左官町 |