トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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41 | GE24-06 | 髪を振り乱し、ほとんど裸で、川向こうから逃げてくる人々 | 上田 富貴代(ウエダ フキヨ) | 1945/8/6 | 鶴見橋付近 | |
42 | GE16-15 | 髪は逆立ち目も口も膨れた全裸の被災者たち、絵で見た幽霊のような手先からたれ下がっているのは皮膚だった | 三上 貞子(ミカミ サダコ) | 1945/8/6 | 南観音二丁目から庚午へ向かう道 | |
43 | GE03-47 | 髪は焼けちぢれ一糸もまとわず皮膚が長く垂れ下っていた女性 | 川西 恒夫(カワニシ ツネオ) | 1945/8/6 | 中広町太田川畔の道路 | |
44 | GE30-07 | 髪の毛もなく全裸で避難する人々 | 小西 良子(コニシ ヨシコ) | 1945/8/6 | 三篠本町二丁目 | |
45 | GE25-36 | 髪が抜けて死んだ従姉妹 | 増川 昭三(マスカワ ショウゾウ) | 1945/9/1 | ||
46 | GE01-38 | 髪が抜けていく様子 | 竹田 初枝(タケダ ハツエ) | 1945/8/6~9/15頃 | 親戚の家 | |
47 | GE15-33 | 髪が抜け、歯茎や爪の間から出血し死んでいった友人達。 | 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) | 1945/8/7 | 戸坂の自宅 | |
48 | GE04-29 | 高圧ダルマ碍子を握ったままの電気工夫の死体 | 横山 義久(ヨコヤマ ヨシヒサ) | 1945/8/9 | ||
49 | GE22-27-1 | 骨組みだけが残り、ところどころ火が燃えている県立広島第一中学校の校舎 | 原 邦彦(ハラ クニヒコ) | 1945/8/6 | 県立広島第一中学校 | |
50 | GE06-08 | 骨折で倒れた私、ニワトリをかかえた弟と会う、山道を逃げる人々 | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 1945/8/6 | 鶴見橋より比治山に登る道 | |
51 | GE33-08 | 駅長に安全な場所をたずねている裸の子供と先生 | 前土井 美佐子(マエドイ ミサコ) | 1945/8/6 | 己斐駅付近 | |
52 | GE40-18 | 駅地下道の爆死体 | 谷上 一六(タニガミ イチロク) | 1945/8/8 | 広島駅地下道 | |
53 | GE41-42 | 駅前の小店で広島に帰るため列車の時間待ちをする | 下村 儀三(シモムラ ギソウ) | 1945/8/6 | 可部線安芸飯室駅前 | |
54 | GE38-25 | 馬の死体と軍靴に巻きゲートルの片足 | 上藤 軍六(ウエトウ グンロク) | 1945/8/7 | 相生橋 | |
55 | GE35-41 | 馬に跨ったまま横倒しとなった軍高官(李王殿下と思われる)の死体 | 工藤 泰弘(クドウ ヤスヒロ) | 1945/8/7 | 相生橋西詰 | |
56 | GE43-21 | 首のない死体、大八車の上の死体 | 北野 ヨシコ(キタノ ヨシコ) | 1945/8/6 | 広島駅前、府中町 | |
57 | GE23-06 | 飴のように曲がった鉄橋。無数の死体が流れる川 | 平田 勝(ヒラタ マサル) | 1945/8/6 | 大手町 | |
58 | GE33-44 | 飯室国民学校では毎日10人前後の人が亡くなり、亡くなった中には若い看護婦さんもいて驚く | 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) | 1945/8/10 | 飯室国民学校 | |
59 | GE30-48 | 食糧増産のため校庭は芋畑となり、大田川堤防には麦・大豆・芋・カボチャが植えられた。 | 堀 輝人(ホリ テルト) | 太田川付近 | ||
60 | GE23-42 | 食糧がないため丸太を食べている軍用馬、骨と皮のようになっていた | 山本 忠代(ヤマモト タダヨ) | 1945/8/22 | 三滝町 |