menu

トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。

一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。

前へ

次へ

検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
241 GE12-34 五日市国民学校で、三昼夜水を求めて叫び続け死んだ若い女性 増田 節雄(マスダ セツオ) 1945/8/6~8/10 五日市国民学校
242 GE24-34 五日市国民学校校庭に穴を掘り毎夜被爆者の死体を焼く 増田 節雄(マスダ セツオ) 1945/8/7~8/14頃 五日市国民学校
243 GE30-31 亡くなった人を古川の川原で火葬する 松島 あや子(マツシマ アヤコ) 1945/8/10前後 昭和橋付近
244 GE16-21 亡くなった家族を火葬する。 吉本 智(ヨシモト サトシ) 1945/8/6~8/10頃 高須の公園(児童公園内)
245 GE33-29 亡くなった被爆者を氏名の判ったもの判らないものに分けて火葬する 佐藤 芳治(サトウ ヨシジ) 1945/8/7 大野村火葬場
246 GE42-34-2 亡くなった軍医たち 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6 広島第一陸軍病院
247 GE30-45 亡くなった長女を大八車に乗せ山の上にある火葬場に運ぶ。 秋山 アサコ(アキヤマ アサコ) 1945/8/27 安佐郡祇園町長束
248 GE40-32 交差点に散乱した腫れた全裸の死体 井野上 忠夫(イノウエ タダオ) 1945/8/6 紙屋町交差点
249 GE13-14 京大調査隊による遺体解剖 内田 栄一(ウチダ エイイチ) 1945/8/10頃 戸坂国民学校(戸坂小学校)
250 GE23-33 京橋川の中の黒焦げの死体、体中が膨れて腹は太鼓のようだった 山村 政子(ヤマムラ マサコ) 1945/8/6 大須賀町
251 GE21-26 京橋川を自分が舟にのり流れているところ 徳富 ヨシコ(トクトミ ヨシコ) 1945/8/6 鶴見橋
252 GE40-34 人が重なり合って死んでいる電車、ところどころ燃えている火 鍛治屋 末美(カジヤ スエミ) 1945/8/7 八丁堀、立町
253 GE33-42 人間の肉を食べて肥えた野犬 堀 輝人(ホリ テルト) 1945/9~1945/10頃 太田川付近
254 GE10-47 仁王様のようになった死体、米軍機に焼け跡の金庫の陰に身をかくす 村上 美佐子(ムラカミ ミサコ) 1945/8/9 西練兵場
255 GE32-34 代用食工場で被爆して逃げる作者の道すじ 佐伯 マスノ(サイキ マスノ) 1945/8/6 観船橋~己斐国民学校
256 GE39-08 代用食工場で被爆して逃げる作者の道すじ 佐伯 マスノ(サイキ マスノ) 1945/8/6 観船橋~己斐国民学校
257 GE11-48 仮救護所内の被爆者 増田 辰男(マスダ タツオ) 1945/8/18頃 中央橋土手下の仮救護所
258 GE29-31 会社に避難し治療中亡くなった人や船台に打ち上げられた死体を引き揚げ荼毘に付す。 山根 壽登(ヤマネ ヒサト) 1945/8/7~1945/9/末 三菱重工業広島造船所
259 GE23-35 伝染病隔離病舎に安置した死体を火葬する 岩崎 英一(イワサキ エイイチ) 1945/8/9 伝染病隔離病舎
260 GE19-15 伝福寺本堂の焼け跡とクスノキの大木、兵隊が一人橋の上で死体を引き上げている 杉本 仙(スギモト セン) 1945/8/8 伝福寺、新大橋

前へ

次へ

Page Top