トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。
一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。
検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
---|---|---|---|---|---|---|
21 | ![]() |
GE16-23 | 死んだ動員学徒 | 中川 謙(ナカガワ ケン) | 鶴見橋周辺 | |
22 | ![]() |
GE03-10 | 全身傷つき虫の息の母親にすがりつく幼子 | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 鶴見橋停留所 | |
23 | ![]() |
GE11-47 | 鶴見橋のたもとで全身火傷した被災者 | 増田 辰男(マスダ タツオ) | 1945/8/6 | 鶴見橋付近(竹屋町) |
24 | ![]() |
GE44-01 | 火の海の中を自宅へ向う作者 | 道辻 芳子(ミチツジ ヨシコ) | 1945/8/6 | 鶴見橋付近 |
25 | ![]() |
GE24-06 | 髪を振り乱し、ほとんど裸で、川向こうから逃げてくる人々 | 上田 富貴代(ウエダ フキヨ) | 1945/8/6 | 鶴見橋付近 |
26 | ![]() |
GE05-19 | 「水をちょうだい」と力なく言う女の子、背中一面の火傷に油薬をぬってもらう人 | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 1945/8/6 | 鶴見橋付近 |
27 | ![]() |
GE26-08 | 屋根の上にしがみついて川を流れている婦人をいかだに乗って助ける。 | 田中 武彦(タナカ タケヒコ) | 1945/8/6 | 鶴見橋上流約50m |
28 | ![]() |
GE03-42 | いかだの上で被爆し川に飛び込む、多くの被爆者が比治山に逃げて行く | 田中 武彦(タナカ タケヒコ) | 1945/8/6 | 鶴見橋上流約50m |
29 | ![]() |
GE40-11 | 防空ごうに収容され水を求める被爆者 | 杉原 悟(スギハラ サトル) | 1945/8/6 | 鶴見橋より比治山に至る道 |
30 | ![]() |
GE06-08 | 骨折で倒れた私、ニワトリをかかえた弟と会う、山道を逃げる人々 | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 1945/8/6 | 鶴見橋より比治山に登る道 |
31 | ![]() |
GE38-09 | 水を求め橋の下に逃げた人々 | 柴田 フミ子(シバタ フミコ) | 1945/8/6 | 鶴見橋 |
32 | ![]() |
GE31-18 | はしご上で息絶えた女性 | 迫 幸一(サコ コウイチ) | 1945/8/8 | 鶴見橋 |
33 | ![]() |
GE26-18 | 鶴見橋近くに横たわっている火ぶくれの人々 | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/7 | 鶴見橋 |
34 | ![]() |
GE25-50 | 劫火に包まれ、助けを求める級友 | 吉山 正子(ヨシヤマ マサコ) | 1945/8/6 | 鶴見橋 |
35 | ![]() |
GE21-26 | 京橋川を自分が舟にのり流れているところ | 徳富 ヨシコ(トクトミ ヨシコ) | 1945/8/6 | 鶴見橋 |
36 | ![]() |
GE03-23 | 陸軍兵士10名くらいの半裸の死体と馬の死体 | 古川 正一(フルカワ ショウイチ) | 1945/8/9 | 鶴羽根神社前 |
37 | ![]() |
GE20-28 | 軍刀をふりかざす、上半身やけどで皮膚のたれ下がった兵隊 | 天野 善郎(アマノ ヨシロウ) | 1945/8/6 | 鶴羽根神社 |
38 | ![]() |
GE16-07 | 全身焼けただれ赤チンをぬってもらう何百という人々 | 吉本 智(ヨシモト サトシ) | 1945/8/6 | 高須の病院 |
39 | ![]() |
GE16-21 | 亡くなった家族を火葬する。 | 吉本 智(ヨシモト サトシ) | 1945/8/6~8/10頃 | 高須の公園(児童公園内) |
40 | ![]() |
GE37-18 | 水を求める負傷者たち | 大藤 誠(オオトウ マコト) | 1945/8/6 | 高須 |