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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1961 GE03-42 いかだの上で被爆し川に飛び込む、多くの被爆者が比治山に逃げて行く 田中 武彦(タナカ タケヒコ) 1945/8/6 鶴見橋上流約50m
1962 GE26-08 屋根の上にしがみついて川を流れている婦人をいかだに乗って助ける。 田中 武彦(タナカ タケヒコ) 1945/8/6 鶴見橋上流約50m
1963 GE05-19 「水をちょうだい」と力なく言う女の子、背中一面の火傷に油薬をぬってもらう人 松室 一雄(マツムロ カズオ) 1945/8/6 鶴見橋付近
1964 GE24-06 髪を振り乱し、ほとんど裸で、川向こうから逃げてくる人々 上田 富貴代(ウエダ フキヨ) 1945/8/6 鶴見橋付近
1965 GE44-01 火の海の中を自宅へ向う作者 道辻 芳子(ミチツジ ヨシコ) 1945/8/6 鶴見橋付近
1966 GE11-47 鶴見橋のたもとで全身火傷した被災者 増田 辰男(マスダ タツオ) 1945/8/6 鶴見橋付近(竹屋町)
1967 GE03-10 全身傷つき虫の息の母親にすがりつく幼子 松室 一雄(マツムロ カズオ) 鶴見橋停留所
1968 GE16-23 死んだ動員学徒 中川 謙(ナカガワ ケン) 鶴見橋周辺
1969 GE11-18 水を求める人々、上半身前側の皮膚が剥がれ尚歩いている男の人 土居 ミチ(ドイ ミチ) 1945/8/6 鶴見橋東詰
1970 GE29-20 やけどでふくれあがった死体がムシロをかけて並べてあった。 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) 1945/8/7 鶴見橋西側
1971 GE12-33 重傷の警防団員とその妻 松室 一雄(マツムロ カズオ) 1945/8/7 鶴見橋西詰
1972 GE14-43 火の海の中を自宅へ向かう作者 道辻 芳子(ミチツジ ヨシコ) 1945/8/6 鶴見橋附近
1973 GE13-01 川に浮いた無数の死体を舟の兵隊が収容 松室 一雄(マツムロ カズオ) 1945/8/6 鶴見橋附近(京橋川)
1974 GE01-25 3日目まだくすぶり続ける焼け跡の中、男女の判別もつかない多くの死体を警防団員が火葬していた 畑 三郎(ハタ サブロウ) 1945/8/9 鷹匠町
1975 GE44-16 金棒を両手で握りしめ目は開けたままの子供の死体 村上 利(ムラカミ トシ) 1945/8/7 鷹匠町
1976 GE27-41 鷹匠町、空鞘町の川土手の焼死体 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) 1945/8/8 鷹匠町、空鞘町の川土手
1977 GE14-42 火災の中、家にはさまれ助けを呼ぶ人 伊藤 貫一(イトウ カンイチ) 1945/8/6 鷹野橋
1978 GE22-40 星あかりに燃える残り火 青い炎 K. H.(ケー.エイチ.) 1945/8/9 鷹野橋から比治山の間
1979 GE24-22 全身火傷で水を求める兵隊と中学生 中尾 庄一(ナカオ ショウイチ) 1945/8/6 鷹野橋の川堤
1980 GE08-19 水を求める重傷者たち、燃える日赤病院 田坂 元(タサカ ハジメ) 1945/8/6 鷹野橋中央ロータリー

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