トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1921 | GE08-06 | 比治山の涼しい木陰を求めて避難する被爆者たち | 河野 安夫(コウノ ヤスオ) | 1945/8/6 | 陸軍船舶通信連隊、船舶通信補充隊裏門付近 | |
1922 | GE05-16 | 身体全体焼けただれさまよう人 | 武田 一美(タケタ カズミ) | 1945/8/6 | 陸軍輸送統制部 | |
1923 | GE36-49 | 倉庫に収容された人々、中学生や母親に抱かれた乳飲み子 | 島川 六男(シマカワ ムツオ) | 1945/8/6~8/8 | 陸軍運輸部金輪島工場物品倉庫 | |
1924 | GE39-25 | 軍上陸用舟艇で桟橋に運ばれてきた負傷者達 | 島川 六男(シマカワ ムツオ) | 1945/8/6 | 陸軍運輸部金輪島工場物品倉庫 | |
1925 | GE29-23 | ポンプの水をバケツに吸みあげ収容所の人達に飲ませてあげた | 宇城 フユコ(ウジョウ フユコ) | 1945/8/6~8/7 | 陸軍運輸部馬匹検疫所 | |
1926 | GE32-07 | 両親と離れ離れになり放心したような男子 | 宇城 フユコ(ウジョウ フユコ) | 1945/8/7 | 陸軍運輸部馬匹検疫所 | |
1927 | GE36-13 | 全身打撲で動けない女の子、君が代を歌いながら亡くなった県立広島第一中学校生徒 | 宇城 フユコ(ウジョウ フユコ) | 1945/8/7 | 陸軍運輸部馬匹検疫所 | |
1928 | GE24-15 | 裸で火傷した親子、親を捜す子供達 | 森井 アヤコ(モリイ アヤコ) | 青崎国民学校 | ||
1929 | GE31-26 | 救護所の便所でお産をする負傷した女性 | 久保 秀子(クボ ヒデコ) | 1945/8/7 | 青崎国民学校 | |
1930 | GE29-24-2 | 焼け跡に残るビル | 岡野 哲(オカノ テツ) | 1945/8/7 | 革屋町付近 | |
1931 | GE29-15 | 寝かされた負傷者、棺桶の中の死体、火葬の準備をする人 | 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) | 1945/8/10 | 飯室国民学校 | |
1932 | GE33-44 | 飯室国民学校では毎日10人前後の人が亡くなり、亡くなった中には若い看護婦さんもいて驚く | 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) | 1945/8/10 | 飯室国民学校 | |
1933 | GE07-13-2 | 子供の死体を食べる野良犬 | 西田 輝美(ニシダ テルミ) | 1945/8/7 | 饒津神社 | |
1934 | GE33-45 | 全身火傷で真っ赤に腫れ上がり目玉が飛び出している兵隊の死体 | 坂井 巖(サカイ イワオ) | 1945/8/7 | 饒津神社 | |
1935 | GE34-23 | 鳥居の前に積み重なった黒焦げの死体、焼けて倒れた貨物車と側の死体 | 藤田 マサ子(フジタ マサコ) | 1945/8/9 | 饒津神社 | |
1936 | GE39-41 | 牛田の自分の家へ帰るところ | 犬丸 フミ(イヌマル フミ) | 1945/8/6 | 饒津神社 | |
1937 | GE08-38 | 爆風で土台が飛ばされた家 | 清水 勝(シミズ マサル) | 1945/8/9 | 饒津神社付近 | |
1938 | GE22-19 | 半焼け、ぶくぶくにふくれた男の死体 | 犬丸 フミ(イヌマル フミ) | 1945/8/ | 饒津神社入口 | |
1939 | GE24-24 | 水を求める全裸の親子 | 西久保 義人(ニシクボ ヨシト) | 1945/8/7 | 饒津神社前 | |
1940 | GE21-12 | 川土手を牛田方面を目指して逃げる被災者たち、饒津神社が炎につつまれている | 宮沢 静一(ミヤザワ シズイチ) | 1945/8/6 | 饒津神社前、京橋川沿い |