トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1901 | GE03-33 | 並べられた工兵隊の兵隊の死体を焼く | 村田 久子(ムラタ ヒサコ) | 1945/8/9 | 長寿園 | |
1902 | GE13-25 | 兵隊・看護婦が避難民に水を少しずつ配る。横たわる人々の上に黒い雨が容赦なく降る。 | 松本 政夫(マツモト マサオ) | 1945/8/6 | 長寿園 | |
1903 | GE23-44 | 天皇陛下万才と唱えて死んだ兵隊、女学生の死体 | 松本 政夫(マツモト マサオ) | 1945/8/6 | 長寿園 | |
1904 | GE27-08 | 長寿園に避難した人たち、一糸まとわぬ若い女性 | 天野 忠雄(アマノ タダオ) | 1945/8/6 | 長寿園 | |
1905 | GE04-04 | 鉄橋の枕木が燃えていて三篠橋の橋脚には水を求めた人が多数いた | 村上 弘子(ムラカミ ヒロコ) | 1945/8/6 | 長寿園、三篠橋 | |
1906 | GE44-64 | 黒い雨が降った範囲 | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) | 1945/8/6 | 長寿園付近 | |
1907 | GE23-23 | 工兵隊の兵隊が負傷したまま土手に並べてあった | 山本 勝子(ヤマモト カツコ) | 1945/8/6 | 長寿園付近太田川支流 | |
1908 | GE42-50 | 長崎平和記念像 | 矢野 シゲ子(ヤノ シゲコ) | 長崎平和公園 | ||
1909 | GE01-08 | 竹やぶに逃げてきた人々に黒い雨が降っている | 塚本 喜三(ツカモト ヨシゾウ) | 1945/8/6 | 長束 | |
1910 | GE34-10 | ムシロの上に寝て水を求める火傷した人々 | 藤本 四郎(フジモト シロウ) | 1945/8/10 | 長束 | |
1911 | GE14-27 | 避難の行列、誰もがボロボロの衣服で負傷者だった。 | 小西 トモ子(コニシ トモコ) | 1945/8/6 | 長束の土手 | |
1912 | GE34-13 | 負傷者でいっぱいのトラック、重傷の赤ん坊を抱く母親 | 藤田 フジエ(フジタ フジエ) | 1945/8/6 | 長束の自宅付近 | |
1913 | GE42-49 | 阿蘇高天原聖徳堂 | 矢野 シゲ子(ヤノ シゲコ) | 阿蘇 | ||
1914 | GE39-42 | 電車にはられた必勝のポスター | 松永 虎槌(マツナガ トラヅチ) | 1945/8/10 | 陸軍兵器学校広島分教所付近 | |
1915 | GE44-69 | 宇品の陸軍船舶司令部に収容され、三日目にようやく治療を受ける、その後坂の国民学校に移送される | 香川 勇(カガワ イサム) | 1945/8/6~1945/8/13 | 陸軍船舶司令部 | |
1916 | GE10-11 | 収容された負傷者を看護する兵隊、死体を運ぶトラック | 道田 芳江(ミチダ ヨシエ) | 陸軍船舶司令部(暁部隊) | ||
1917 | GE33-10 | 負傷者を看護する兵隊、死体を安置所から金輪島に運ぶトラック | 道田 芳江(ミチダ ヨシエ) | 1945/8/7 | 陸軍船舶司令部(暁部隊) | |
1918 | GE45-21 | 縮景園付近で被爆、常葉橋北の川原で午後四時まで待ち鶴見橋の方へ逃げる | 香川 勇(カガワ イサム) | 1945/8/6~8/7 | 陸軍船舶司令部(暁部隊) | |
1919 | GE03-16 | 火傷に苦しみ水を求めて水道に集まる人々 | 勝田 光子(カツタ ミツコ) | 1945/8/6 | 陸軍船舶通信連隊、船舶通信補充隊(電信隊) | |
1920 | GE15-50 | 中学生のいたましい姿 | 後藤 利文(ゴトウ トシフミ) | 1945/8/6 | 陸軍船舶通信連隊、船舶通信補充隊裏比治山防空ごう付近 |