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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1841 GE24-31 大きなテントの中でうめく負傷者から娘を捜す 奥野 浅子(オクノ アサコ) 1945/8/8 西練兵場
1842 GE27-17 点呼時に被爆し倒れた兵隊達 山田 一(ヤマダ ハジメ) 1945/8/7 西練兵場
1843 GE30-24 紙屋町電停より見た遺体の山 衣笠 正幸(キヌガサ マサユキ) 1945/8/7 西練兵場
1844 GE38-13 トタン板がかぶせられた死体、焼けた電車、親・兄弟を捜し求める人 宮本 勝美(ミヤモト カツミ) 1945/8/8 西練兵場
1845 GE41-30 全身やけどした軍馬が集まっていた。痛そうだった。 秋山 和男(アキヤマ カズオ) 1945/8/7 西練兵場
1846 GE27-31 死体に油をかけて焼く、「紫光性大型新爆弾投下」の垂れ幕 高田 勇(タカタ イサム) 1945/8/9 西練兵場、中国新聞社(新館)
1847 GE41-35 防空ごう内に避難してきた被爆者。すでに死んでいる人もいた。 秋山 和男(アキヤマ カズオ) 1945/8/7 西練兵場の防空壕
1848 GE42-09 防空ごう内にたくさんの人が避難していた。みな全身やけどで苦痛を訴えていた。 秋山 和男(アキヤマ カズオ) 西練兵場の防空壕
1849 GE43-42 西練兵場附近の焼あと 秦 進一(ハタ シンイチ) 1946 西練兵場付近
1850 GE04-12 へその穴から腸が飛び出た子供をかばい死んでいる女の人 渡慶次 恒徳(トケシ コウトク) 1945/8/8 西練兵場南入口
1851 GE13-05 黒焦げになった四、五歳の幼児の死体 山下 正人(ヤマシタ マサト) 1945/8/9 西練兵場土手の上
1852 GE10-38 燃えつきて燃えるものもない街中で真青な火が燃えていた。下の方からうめき声が聞こえてくるようであった。 田中 常正(タナカ ツネマサ) 1945/8/9 西練兵場憲兵隊跡
1853 GE03-18 負傷者をトラックに乗せて病院に運ぶ 田中 武彦(タナカ タケヒコ) 1945/8/9 西蟹屋町から舟越町の国道2号線
1854 GE01-38 髪が抜けていく様子 竹田 初枝(タケダ ハツエ) 1945/8/6~9/15頃 親戚の家
1855 GE27-04 布団を持って水に入る作者と燃える橋、羽田別荘ドームも燃えている 佐伯 實(サイキ ミノル) 1945/8/6 観船橋
1856 GE32-34 代用食工場で被爆して逃げる作者の道すじ 佐伯 マスノ(サイキ マスノ) 1945/8/6 観船橋~己斐国民学校
1857 GE39-08 代用食工場で被爆して逃げる作者の道すじ 佐伯 マスノ(サイキ マスノ) 1945/8/6 観船橋~己斐国民学校
1858 GE13-35 防火用水槽とナス畑の葉陰を頼ってはってきた人々 辰井 博務(タツイ ヒロム) 1945/8/6 観音本町
1859 GE15-12 自宅周辺の焼け跡の様子 本岡 シゲ子(モトオカ シゲコ) 1945/8/8 観音本町
1860 GE28-31 燃える町と家の間取り図 河野 か津(コウノ カツ) 1945/8/6 観音本町

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