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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
161 GE17-16 山にのがれたひん死の重傷者 西田 輝美(ニシダ テルミ) 1945/8/6 三滝山麓
162 GE16-02-3 三滝山での避難の様子 匿名 1945/8/6 三滝橋付近から三滝山
163 GE06-10 黒い雨のふる中、爆風で家の下敷になった夫を見守る婦人 西田 輝美(ニシダ テルミ) 1945/8/6 三滝町
164 GE19-04-3 焼残った家の前で一晩休ませてもらう 西本 好子(ニシモト ヨシコ) 1945/8/6 三滝町
165 GE23-42 食糧がないため丸太を食べている軍用馬、骨と皮のようになっていた 山本 忠代(ヤマモト タダヨ) 1945/8/22 三滝町
166 GE31-11 医者と水を求める負傷者 山本 忠代(ヤマモト タダヨ) 1945/8/6 三滝町850番地自宅前
167 GE36-37 三滝陸軍病院の焼け跡から肥つぼを大八車に積んで持ち帰る人 山本 忠代(ヤマモト タダヨ) 1945/秋 三滝町850番地自宅前
168 GE29-09 竹やぶに降る黒い雨、大火傷した人や生のきゅうりを食べる人 小林 かずゑ(コバヤシ カズエ) 1945/8/6 三滝町付近
169 GE04-44 親切な人にサイダーとビスケットをもらう 佐伯 敏子(サイキ トシコ ) 1945/8/6 三滝近くの線路土手
170 GE01-19 然える街並みと避難する人々 山下 正夫(ヤマシタ マサオ) 三篠
171 GE24-09 大八車で負傷者を運ぶ 藤井 千代子(フジイ チヨコ) 1945/8/6 三篠
172 GE06-06 安村に行く途中三篠の竹やぶに避難する。この中で多くの人が死んで行った。 冨田 實(トンダ ミノル) 1945/8/6 三篠の竹やぶ
173 GE40-06 竹やぶの中に避難し苦しむ人々 大佛 八重(オサラギ ヤエ) 1945/8/7 三篠の竹やぶ
174 GE23-30 山積みされた死体、穴の中で油をかけて焼かれる死体、被爆者で満員の校舎 仲井 仙之助(ナカイ センノスケ) 1945/8/10頃 三篠国民学校
175 GE46-20 負傷した兵士たち 藤田 昌一(フジタ マサカズ) 1945/8/6 三篠国民学校
176 GE16-02-1 校庭で朝礼中被爆。生徒や先生は傷ついた身体で三滝橋から山へ逃げる 匿名 1945/8/6~1カ月後 三篠国民学校、三滝橋付近
177 GE16-02-2 被爆直後からその後の避難のようす 匿名 1945/8/6 三篠国民学校、三滝橋付近
178 GE37-41 電線がたれ下がり、一部藁葺の家より出火している。避難する人々はすべて黒い顔をしている。 庄賀 美登(ショウガ ヨシト) 1945/8/6 三篠本町
179 GE45-42 説明文 庄賀 美登(ショウガ ヨシト) 三篠本町
180 GE30-07 髪の毛もなく全裸で避難する人々 小西 良子(コニシ ヨシコ) 1945/8/6 三篠本町二丁目

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