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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
241 GE20-18 昭和18年頃の原爆前の中島本町周辺の見取図 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) 1943頃 中島本町(現在の平和記念公園付近)
242 GE30-15 弟を捜しに建物疎開作業現場に行き弟の友人を見つける 川口 シマ子(カワグチ シマコ) 中島町、木挽町
243 GE04-37 建物のこわれたようす 小尻 勉(コジリ ツトム) 中島町附近
244 GE25-35 中広橋付近 菅 敏孝(スガ トシタカ) 1945/8/9 中広橋
245 GE01-40 焼けトタンのバラックに娘さんはウジをわかせて寝ていた 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) 1945/9/3 中広町
246 GE24-18 母と弟嫁が畑で作業中被爆 吉村 チヱコ(ヨシムラ チエコ) 1945/8/6 中広町
247 GE38-35 避難者をのせる汽車 焦げたジャガイモを食べる人々 北橋 ハル子(キタハシ ハルコ) 1945/8/6 中広町
248 GE41-37 泣く友人を叱り励ましながら逃げる。上半身が赤向けになって歩いている人に出会って思わずギクリとする。 高橋 昭博(タカハシ アキヒロ) 1945/8/6 中広町
249 GE45-22 自宅の下敷になって意識不明になった母を助けてたおれた父 須磨 總子(総子)(スマ フサコ) 1945/8/6 中広町
250 GE45-24 市内整理中、大きな柱の下でうめいていた人、柱を切って外に出すがやがて亡くなった 鍛治屋 末美(カジヤ スエミ) 中広町
251 GE37-12 破壊された中央橋 山田 正喜(ヤマダ マサキ) 1945/8/8 中広町から打越方面
252 GE04-03 窓一杯に光をみた 気がついたら家の下敷きとなって身動きもできなかった 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) 1945/8/6 中広町の自宅
253 GE05-41 火傷にウジがわき苦しむ弟 紺田 ヨ子(コンダ ヨネ) 中広町の自宅
254 GE35-34 爆風で倒壊したものの火が出なかった自宅 紺田 ヨ子(コンダ ヨネ) 1945/8/6 中広町の自宅
255 GE01-12 グッタリした赤ん坊をだいた夫が動けなくなった妻の手をひいて元気づける 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) 1945/8/6 中広町一丁目
256 GE32-30 砂ぼこりの中に馬は目をとじて動かなかった 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) 1945/8/6 中広町一丁目
257 GE22-04 胸の傷を洗っていると全身やけどの女性が「私の顔はどんなですか」と聞く 紀川 良子(キガワ ヨシコ) 1945/8/6 中広町二丁目の自宅前
258 GE03-47 髪は焼けちぢれ一糸もまとわず皮膚が長く垂れ下っていた女性 川西 恒夫(カワニシ ツネオ) 1945/8/6 中広町太田川畔の道路
259 GE40-25 炭俵に巻かれた女性の死体 児玉 武子(コダマ タケコ) 1945/8/7 丸子山付近
260 GE19-14 死体の火葬 宮川 恵美子(ミヤガワ エミコ) 1945/8/7 丹那川辺

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