トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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141 | GE07-45 | こもをかぶせられて横たわる老婦人とみかんの缶詰をさし出す兵隊 | 松永 虎槌(マツナガ トラヅチ) | 1945/8/9 | 寺町の近所 | |
142 | GE07-30 | 常葉橋のたもとの死体の山が臭気を放っている、涙を流しながら肉親の安否をたずねる | 平田 徳與(ヒラタ トクヨ) | 1945/8/9 | 常葉橋のたもと | |
143 | GE06-45 | 病院前に足の踏み場もない程倒れている被災者 | 初谷 忠曷(ハツヤ タダカツ) | 1945/8/9 | 広島赤十字病院 | |
144 | GE06-43 | 廿日市へ収容されるため比治山を降りる時の情景 | 藤瀬 朝子(フジセ アサコ) | 1945/8/9 | 比治山入り口多聞院付近 | |
145 | GE06-07 | こわれた昭和大橋、五日市に向うため横川橋を渡る | 小笠原 春子(オガサワラ ハルコ) | 1945/8/9 | 昭和大橋、横川橋 | |
146 | GE05-25 | 川一面に浮いた縄でむすびつけられた死体 | 田中 武彦(タナカ タケヒコ) | 1945/8/9 | 神田橋下流 | |
147 | GE04-43 | 大八車で運ばれる私と道端の焼け焦げた中年婦人の死体 | 山崎 佐世子(ヤマサキ サヨコ) | 1945/8/9 | 舟入国民学校校庭から観音の川土手に向う途中 | |
148 | GE04-29 | 高圧ダルマ碍子を握ったままの電気工夫の死体 | 横山 義久(ヨコヤマ ヨシヒサ) | 1945/8/9 | ||
149 | GE03-33 | 並べられた工兵隊の兵隊の死体を焼く | 村田 久子(ムラタ ヒサコ) | 1945/8/9 | 長寿園 | |
150 | GE03-25 | 建物疎開作業中全滅した中学生達 | 岡崎 秀彦(オカザキ ヒデヒコ) | 1945/8/9 | 土橋町付近 | |
151 | GE03-23 | 陸軍兵士10名くらいの半裸の死体と馬の死体 | 古川 正一(フルカワ ショウイチ) | 1945/8/9 | 鶴羽根神社前 | |
152 | GE03-18 | 負傷者をトラックに乗せて病院に運ぶ | 田中 武彦(タナカ タケヒコ) | 1945/8/9 | 西蟹屋町から舟越町の国道2号線 | |
153 | GE03-03 | 炊き出しのおにぎりをもらいに横川駅へ行く | 紺田 ヨ子(コンダ ヨネ) | 1945/8/9 | 横川駅付近 | |
154 | GE02-34 | 満潮の川面には死体が浮き住吉橋のたもとには母子らしい焼死体が褐色にふくれ上がっていた | 藤瀬 朝子(フジセ アサコ) | 1945/8/9 | 住吉橋 | |
155 | GE01-25 | 3日目まだくすぶり続ける焼け跡の中、男女の判別もつかない多くの死体を警防団員が火葬していた | 畑 三郎(ハタ サブロウ) | 1945/8/9 | 鷹匠町 | |
156 | GE34-29 | 川を流れる死体、道端で死んでいる人や馬 | 大倉 キミヨ(オオクラ キミヨ) | 1945/8/8~8/9頃 | 福島橋付近 | |
157 | GE46-06 | 全身やけどで倒れている馬。体は風船のように膨れて今にもはじけそうだった | 平井 久仁子(ヒライ クニコ ) | 1945/8/8~8/9 | 東練兵場、尾長国民学校 | |
158 | GE21-29-4 | 市民が描いた原爆の絵GE21-29-4(説明文) | 有吉 コサダ(アリヨシ コサダ) | 1945/8/8~8/9 | ||
159 | GE21-29-3 | 電車通りに並べられた無数の死体 | 有吉 コサダ(アリヨシ コサダ) | 1945/8/8~8/9 | 紙屋町 | |
160 | GE21-29-2 | 男女、老若の区別のつかない死体が浮かんでいる | 有吉 コサダ(アリヨシ コサダ) | 1945/8/8~8/9 | 常葉橋 |