トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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21 | GE23-40 | 袋町国民学校 | 山本 正人(ヤマモト マサト) | 1946/2/20 | 袋町国民学校 | |
22 | GE23-39 | 広島県産業奨励館 | 山本 正人(ヤマモト マサト) | 1946/2/20 | 広島県産業奨励館 | |
23 | GE43-44 | 転校手続に行く | 秦 進一(ハタ シンイチ) | 1946/2/ | 己斐橋から福島橋 | |
24 | GE31-31 | あちらこちらに残る遺骨 | 小笠原 春子(オガサワラ ハルコ) | 1946/1/ | 西新町 | |
25 | GE43-45 | 火薬を燃やす進駐軍 | 秦 進一(ハタ シンイチ) | 1946 | 白島付近 | |
26 | GE43-42 | 西練兵場附近の焼あと | 秦 進一(ハタ シンイチ) | 1946 | 西練兵場付近 | |
27 | GE05-44 | 肉親を捜して入市する人におむすびを渡す兵隊、一家全滅で泣き叫ぶ女性、川の中で水を飲みそのまま死んだ人 | 原 美味(ハラ ヨシミ) | 19458/7 | 住吉橋 | |
28 | GE36-37 | 三滝陸軍病院の焼け跡から肥つぼを大八車に積んで持ち帰る人 | 山本 忠代(ヤマモト タダヨ) | 1945/秋 | 三滝町850番地自宅前 | |
29 | GE12-38 | 元安橋東詰から西を望む | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 1945/秋 | 元安橋付近 | |
30 | GE11-34 | 復員列車から見た風景 | 山本 節子(ヤマモト セツコ) | 1945/秋 | ||
31 | GE19-21 | 焼け跡に家屋が建ち始め、学校は青空教室で再開された | 神田 イツコ(カンダ イツコ) | 1945/夏の終わり頃 | ||
32 | GE33-42 | 人間の肉を食べて肥えた野犬 | 堀 輝人(ホリ テルト) | 1945/9~1945/10頃 | 太田川付近 | |
33 | GE10-46 | 復員し我が屋の焼け跡にたたずむ | 松本 秀峰(マツモト シュウホウ)、松本 八峰(マツモト ハッポウ) | 1945/9頃 | 楠木二丁目(作者の自宅周辺) | |
34 | GE32-46 | DDTをまく米軍機 | 若狭 藤雄(ワカサ フジオ) | 1945/9/初旬 | ||
35 | GE19-22 | 被爆1ヵ月後ハエのたかった死体があった。療養のため帰った山県のようす | 神田 イツコ(カンダ イツコ) | 1945/9/初旬 | 横川駅付近、山県 | |
36 | GE06-29 | 波により打ち上げられた白骨化した死体 | 大本 貢(オオモト ミツギ) | 1945/9/初旬 | 三菱重工業広島造船所江波工場 | |
37 | GE05-48 | 道端に骨を拾う家族もないのか長い間道行く人を眺めていた白骨 | 辻岡 孝子(ツジオカ タカコ) | 1945/9/中旬 | 十日市町 | |
38 | GE03-50 | 台風後のバラックの生活、裏では死者を火葬する | 小笠原 春子(オガサワラ ハルコ) | 1945/9/中旬 | 舟入仲町 | |
39 | GE03-35 | 建物のこわれたようす | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 1945/9/中旬 | 幟町地区から流川教会 | |
40 | GE03-34 | 原爆投下より約40日後青い植物の新芽が出る。 | 三浦 篤夫(ミウラ アツオ) | 1945/9/中旬 | 広島市役所と公会堂の間 |