トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1941 | GE33-30 | 川土手で4人の遺体を荼毘にふす | 柳本 睦夫(ヤナギモト ムツオ) | 1945/9 | 猿猴川土手、広島師範学校と東洋工業の間 | |
1942 | GE25-36 | 髪が抜けて死んだ従姉妹 | 増川 昭三(マスカワ ショウゾウ) | 1945/9/1 | ||
1943 | GE29-36 | 広島に子供を捜しに行く。パラソルをさしてムスビを食べながら歩く。 | 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) | 1945/9/1 | 本通り | |
1944 | GE11-31 | 原子砂爆に灯がともる | 田中 儀作(タナカ ギサク) | 1945/9/10 | 比治山山頂 | |
1945 | GE06-35 | 沢山の収容者の名簿をさがし、名前不明県立広島第二中学校一年生の骨を子供と思い骨をもらう | 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) | 1945/9/15 | 広島市役所 | |
1946 | GE01-40 | 焼けトタンのバラックに娘さんはウジをわかせて寝ていた | 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) | 1945/9/3 | 中広町 | |
1947 | GE16-12 | 相生橋西側の顔半分が残った白骨死体 | 尾島 良平(オジマ リョウヘイ) | 1945/9/6 | 相生橋西側上流 | |
1948 | GE30-13 | 逓信病院の様子 | 山本 節子(ヤマモト セツコ) | 1945/9/下旬 | 広島逓信病院 | |
1949 | GE03-34 | 原爆投下より約40日後青い植物の新芽が出る。 | 三浦 篤夫(ミウラ アツオ) | 1945/9/中旬 | 広島市役所と公会堂の間 | |
1950 | GE03-35 | 建物のこわれたようす | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 1945/9/中旬 | 幟町地区から流川教会 | |
1951 | GE03-50 | 台風後のバラックの生活、裏では死者を火葬する | 小笠原 春子(オガサワラ ハルコ) | 1945/9/中旬 | 舟入仲町 | |
1952 | GE05-48 | 道端に骨を拾う家族もないのか長い間道行く人を眺めていた白骨 | 辻岡 孝子(ツジオカ タカコ) | 1945/9/中旬 | 十日市町 | |
1953 | GE06-29 | 波により打ち上げられた白骨化した死体 | 大本 貢(オオモト ミツギ) | 1945/9/初旬 | 三菱重工業広島造船所江波工場 | |
1954 | GE19-22 | 被爆1ヵ月後ハエのたかった死体があった。療養のため帰った山県のようす | 神田 イツコ(カンダ イツコ) | 1945/9/初旬 | 横川駅付近、山県 | |
1955 | GE32-46 | DDTをまく米軍機 | 若狭 藤雄(ワカサ フジオ) | 1945/9/初旬 | ||
1956 | GE10-46 | 復員し我が屋の焼け跡にたたずむ | 松本 秀峰(マツモト シュウホウ)、松本 八峰(マツモト ハッポウ) | 1945/9頃 | 楠木二丁目(作者の自宅周辺) | |
1957 | GE33-42 | 人間の肉を食べて肥えた野犬 | 堀 輝人(ホリ テルト) | 1945/9~1945/10頃 | 太田川付近 | |
1958 | GE19-21 | 焼け跡に家屋が建ち始め、学校は青空教室で再開された | 神田 イツコ(カンダ イツコ) | 1945/夏の終わり頃 | ||
1959 | GE11-34 | 復員列車から見た風景 | 山本 節子(ヤマモト セツコ) | 1945/秋 | ||
1960 | GE12-38 | 元安橋東詰から西を望む | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 1945/秋 | 元安橋付近 |