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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1921 GE44-60 テントに収容された負傷者達 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 1945/8/9 東練兵場
1922 GE45-15 被爆した学徒たちの合葬 中田 スエミ(ナカタ スエミ) 1945/8/9 佐東町河原
1923 GE45-19 黒こげの死体 好井 博(ヨシイ ヒロシ) 1945/8/9 京橋通り
1924 GE45-35 防火用水一杯に広がった黒い髪 近藤 幸子(コンドウ サチコ) 1945/8/9 流川電車通り北側
1925 GE45-45 説明 勝田 実(カツタ ミノル) 1945/8/9
1926 GE22-35 川中の死体をトビ口でひき上げる 小野 勝(オノ マサル) 1945/8/9、8/10 住吉橋東詰
1927 GE35-21 悪臭のただよう死体の中を肉親を探して歩く人 三好 茂(ミヨシ シゲル) 1945/8/9、8/10 万代橋付近
1928 GE27-49 広島県庁公園跡に男子が一人ですわっていた。黒焦げの電車、架線が下がっている。 有馬 千代(アリマ チヨ) 1945/8/9、8/11 広島県庁公園跡、広島駅前
1929 GE09-49 火傷にキュウリをすりおろして塗る。体中にウジがわいている。 小野 勝(オノ マサル) 1945/8/9か、8/10 牛田町
1930 GE07-28 橋の下のよどみにたまった死体 前田 正一(マエダ マサカズ) 1945/8/9頃 三篠橋
1931 GE12-37 川の中の無数の死体 前田 正一(マエダ マサカズ) 1945/8/9頃 三篠橋
1932 GE32-21 広場いっぱいに集められた死体、叔父を探して一人づつ見て歩く。 武田 益義(タケダ カズヨシ) 1945/8/9頃 比治山公園
1933 GE43-35 くすぶり続ける松並木 増岡 憲治(マスオカ  ケンジ) 1945/8/9頃 福島川と山手川の中間
1934 GE12-26 電車通りにできた救護所のようす 山岡 文子(ヤマオカ フミコ) 1945/8/9~8/14 神崎国民学校前の電車通り
1935 GE34-11 廿日市高校の講堂に収容された兵士 藤瀬 朝子(フジセ アサコ) 1945/8/9~8/15 廿日市高校
1936 GE04-35 焼け跡に散乱した白骨と機械部品 下村 儀三(シモムラ ギソウ) 1945/8/中旬 東洋製罐広島兵器製作所
1937 GE24-43 欄干が両側に開いて倒れていた 山本 勝子(ヤマモト カツコ) 1945/8/中旬 相生橋
1938 GE45-32 身体中にガラスがささり、頭が20cmくらい割れ右腕関節に木がささったままの夫。 森岡 まさ子(モリオカ マサコ) 1945/8/中旬 甲奴郡甲奴村の自宅
1939 GE39-18 背中一面にウジがわいて苦しむ子供を見守る父親 山本 忠代(ヤマモト タダヨ) 1945/8/末 広島第二陸軍病院三滝分院前
1940 GE04-41 袋町国民学校に収容された人々の様子 煙石(土井)二三枝(エンセキ(ドイ) フミエ) 1945/8/末頃 袋町国民学校

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