トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1821 | GE11-24 | 社宅に収容された被爆者 | 大本 貢(オオモト ミツギ) | 1945/8/8頃 | 三菱社宅 | |
1822 | GE43-18 | 川原に集められて火葬される死体、焼くにおいをかぎながら食事をし、死体とともに寝起きする | 佐伯 綾子(サエキ アヤコ) | 1945/8/8頃 | 白島九軒町の土手上 | |
1823 | GE46-07 | 大内越峠の女学生。峠道の両側の溝には水を求めて人が寄っていた、あちこちから水を求める声が聞こえた | 平井 久仁子(ヒライ クニコ ) | 1945/8/8頃 | 大内越峠 | |
1824 | GE10-42 | 背中にハエがたかった人々、防火用水槽の死人、日没後、水を求めてさまよい出てくる被爆者 | 吉野 豊子(ヨシノ トヨコ) | 1945/8/8~8/10 | 土橋、塚本町、皆実町 | |
1825 | GE11-12 | 8/8~10の市内各地のようす | 南 隆治(ミナミ タカハル) | 1945/8/8~8/10 | 新川場、柳橋、紙屋町、天満川、舟入幸町、福屋 | |
1826 | GE31-23 | 川の中、川沿いに倒れた中学生、女学生の死体 | 保田 あきの(ヤスダ アキノ) | 1945/8/8~8/10 | 新大橋 | |
1827 | GE09-36 | 広島の燃える火 | 前 カズノ(マエ カズノ) | 1945/8/8~8/9 | 佐伯郡五日市町楽々園海老橋付近 | |
1828 | GE21-29-1 | ヤケド負い水を求める人々 | 有吉 コサダ(アリヨシ コサダ) | 1945/8/8~8/9 | 舟入川口町 | |
1829 | GE21-29-2 | 男女、老若の区別のつかない死体が浮かんでいる | 有吉 コサダ(アリヨシ コサダ) | 1945/8/8~8/9 | 常葉橋 | |
1830 | GE21-29-3 | 電車通りに並べられた無数の死体 | 有吉 コサダ(アリヨシ コサダ) | 1945/8/8~8/9 | 紙屋町 | |
1831 | GE21-29-4 | 市民が描いた原爆の絵GE21-29-4(説明文) | 有吉 コサダ(アリヨシ コサダ) | 1945/8/8~8/9 | ||
1832 | GE46-06 | 全身やけどで倒れている馬。体は風船のように膨れて今にもはじけそうだった | 平井 久仁子(ヒライ クニコ ) | 1945/8/8~8/9 | 東練兵場、尾長国民学校 | |
1833 | GE34-29 | 川を流れる死体、道端で死んでいる人や馬 | 大倉 キミヨ(オオクラ キミヨ) | 1945/8/8~8/9頃 | 福島橋付近 | |
1834 | GE01-25 | 3日目まだくすぶり続ける焼け跡の中、男女の判別もつかない多くの死体を警防団員が火葬していた | 畑 三郎(ハタ サブロウ) | 1945/8/9 | 鷹匠町 | |
1835 | GE02-34 | 満潮の川面には死体が浮き住吉橋のたもとには母子らしい焼死体が褐色にふくれ上がっていた | 藤瀬 朝子(フジセ アサコ) | 1945/8/9 | 住吉橋 | |
1836 | GE03-03 | 炊き出しのおにぎりをもらいに横川駅へ行く | 紺田 ヨ子(コンダ ヨネ) | 1945/8/9 | 横川駅付近 | |
1837 | GE03-18 | 負傷者をトラックに乗せて病院に運ぶ | 田中 武彦(タナカ タケヒコ) | 1945/8/9 | 西蟹屋町から舟越町の国道2号線 | |
1838 | GE03-23 | 陸軍兵士10名くらいの半裸の死体と馬の死体 | 古川 正一(フルカワ ショウイチ) | 1945/8/9 | 鶴羽根神社前 | |
1839 | GE03-25 | 建物疎開作業中全滅した中学生達 | 岡崎 秀彦(オカザキ ヒデヒコ) | 1945/8/9 | 土橋町付近 | |
1840 | GE03-33 | 並べられた工兵隊の兵隊の死体を焼く | 村田 久子(ムラタ ヒサコ) | 1945/8/9 | 長寿園 |