トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1801 | GE43-13 | 脱線した電車の赤茶けた車体、車内にとり残された死体 | 増岡 憲治(マスオカ ケンジ) | 1945/8/8 | 住友銀行広島支店付近 | |
1802 | GE43-14 | 川の中洲に折り重なった死体の山 | 牛尾 富子(ウシオ トミコ) | 1945/8/8 | 常葉橋 | |
1803 | GE43-20 | 水道水のところで丸裸で煉瓦色にふくれ、肛門から泡を出して死んでいる人々 | 池田 キミヱ(イケダ キミエ) | 1945/8/8 | 八丁堀付近 | |
1804 | GE43-27 | 死体収容所の様子 | 角井 小津美(カクイ コズミ) | 1945/8/8 | 鷹野橋中央病院付近 | |
1805 | GE43-28 | 目玉が飛び出した黒焦げの少年の死体 | 繁森 アサ(シゲモリ アサ) | 1945/8/8 | 天神町 | |
1806 | GE43-32 | 川土手に穴を掘り、死体を焼く | 好井 博(ヨシイ ヒロシ) | 1945/8/8 | 広島鉄道局広島工機部 | |
1807 | GE43-46 | 全身水ぶくれで黒く焼け放心状態で歩く人 | 沖井 ちか(オキイ チカ) | 1945/8/8 | 山口県岩国市 | |
1808 | GE44-17 | 目がとびだし、舌が風船ガムをふくらましたようになった死体 | 陰山 壽美恵(カゲヤマ スミエ) | 1945/8/8 | 南竹屋町 | |
1809 | GE44-20 | 川中の死体、死体をだびに付す | 衣笠 正幸(キヌガサ マサユキ) | 1945/8/8 | 白島 | |
1810 | GE44-24 | 川に飛びこんだ男女学徒の死体 | 池田 キミヱ(イケダ キミエ) | 1945/8/8 | 元安川 | |
1811 | GE44-49 | 偵察のB29を見る | 浜尾 八重(ハマオ ヤエ) | 1945/8/8 | 進徳高等女学校前 | |
1812 | GE45-02 | 竹やぶに吊るされた蚊帳の中に収容された無数の被爆者 | 藤森 長市(フジモリ ナガイチ) | 1945/8/8 | 広島第二陸軍病院三滝分院 | |
1813 | GE45-13 | 炎天下の学徒の死体、焼け跡の一家全滅の遺骨 | 杉本 仙(スギモト セン) | 1945/8/8 | 東観音町 | |
1814 | GE45-28 | 手当も受けられずただ収容されたまま苦しんでいる人々 | 赤木 恵(アカギ メグム) | 1945/8/8 | 己斐国民学校 | |
1815 | GE46-08 | 広島県産業奨励館と元安川 | 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) | 1945/8/8 | 広島県産業奨励館前 | |
1816 | GE46-15 | 負傷者を収容するために張られたテント | 田中 暎郎(タナカ エイロウ) | 1945/8/8 | 東練兵場 | |
1817 | GE31-03 | 治療所へ向かう被爆者の長蛇の列、背中の火傷が痛いので毛布をかぶっている | 板倉 幸栄(イタクラ トキエ) | 1945/8/8、8/9頃 | 戸坂国民学校へ行く途中 | |
1818 | GE24-35 | 穴に死体をうず高く積み上げ油をかけて火葬する風景が町のあちこちで見られた。 | 伊藤 広江(イトウ ヒロエ) | 1945/8/8以後 | ||
1819 | GE07-16 | 電車の中の黒焦げの人と電車道に並べられた大火傷で虫の息の人々 | 木村 貞子(キムラ サダコ) | 1945/8/8頃 | 土橋付近 | |
1820 | GE09-30 | 元安川に飛び込んで亡くなった人々。目玉は飛び出し、腹の腸は渦を巻いて外に出ていた。 | 佐々木 正名(ササキ マサナ) | 1945/8/8頃 | 万代橋 |