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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
101 GE26-33 救護所そして火葬所となった国民学校 山本 節子(ヤマモト セツコ) 戸坂国民学校
102 GE26-45 火葬するため荷車で死者を山に多数運ぶ。 西村 サゝヨ(ニシムラ サゝヨ) 庄原赤十字病院近く
103 GE27-10 救護所にて 校庭一面に収容された負傷者達、遺体を重ねて焼く 勝田 実(カツタ ミノル) 戸坂国民学校
104 GE27-32 川を流れる死体、たくさんの死者を焼く 犬丸 フミ(イヌマル フミ) 牛田
105 GE27-33 ポッキリ折れた大木 川上 喜蔵(カワカミ キゾウ) 広島城の堀
106 GE27-38 太田川に浮かぶ死体と焼けただれた被災者の群れ 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) 三滝
107 GE28-21 重体の人を運び出す舟、三篠橋付近の死体と自宅近辺の様子 下田 久雄(シモダ ヒサオ) 三篠橋付近
108 GE28-36 生ゴム倉庫が炎上し、炎は強風にあおられて、逃げる人々に襲いかかった。 佐々木 美敏(ササキ ミトシ) 東練兵場
109 GE28-41 電柱に貼付けられた「新型爆弾投下」の号外 若狭 藤雄(ワカサ フジオ) 尾長町(製綿所付近)
110 GE28-48 竹やぶの中の負傷者 田野原 マサコ(タノハラ マサコ) 竹やぶ
111 GE29-14 すりこぎが額にささったまま寝ている婦人がいた 寺田 玉子(テラダ タマコ) 廿日市国民学校
112 GE29-38 全身やけどで寄宿舎に帰ってきた中学生 兜山 年子(カブトヤマ  トシコ)
113 GE29-40 水田地帯であったこの辺の被爆の様子 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) 可部行の本通り
114 GE29-45 銀行の玄関に腰掛けている人 岡村 スマノ(オカムラ スマノ)
115 GE30-08 国道を逃げて行く人々、自転車や大八車に乗せられた人 繁本 幸美(シゲモト サチミ)
116 GE30-15 弟を捜しに建物疎開作業現場に行き弟の友人を見つける 川口 シマ子(カワグチ シマコ) 中島町、木挽町
117 GE30-28 川に浮かぶ死体 塩野 一二(シオノ カズジ) 本川
118 GE30-36 市内各所の記憶に残ったところ 浜岡 繁重郎(ハマオカ シゲジロウ) 市内、祇園
119 GE30-48 食糧増産のため校庭は芋畑となり、大田川堤防には麦・大豆・芋・カボチャが植えられた。 堀 輝人(ホリ テルト) 太田川付近
120 GE32-45 よみがえった広島 市場 京子(イチバ キョウコ) 平和記念公園

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